おすすめ度 ★★★★★
題名 ソイレント・グリーン(Soylent Green)
監督 リチャード・フライシャー
制作 ウォルター・セルツァー
原作 ハリイ・ハリスン『人間がいっぱい』1966
出演 チャールトン・ヘストン、エドワード・G・ロビンソン、ジョゼフ・コットン
上映時間 97分
制作年 1973年
制作国 アメリカ
ジャンル SF、ディストピア、近未来、食糧危機
引用: 「俺がガキの頃は味があった」 ソルのセリフ
これはただの人口爆発の映画ではない。人口爆発で食料が足りなくなっただけの世界ではなく、すべてが奪われた世界を描いた作品なのだった。
あらすじ
殺人課の刑事ソーンは、「ブック(本)」と呼ばれる老人ソルの協力を得て凶悪犯を追う日々。ある日、高級マンションに暮らす弁護士サイモンソンが殺される。プロの殺しの仕事だと見抜いたソーンはソルと共に捜査に乗り出す。捜査の結果辿り着いた真相は、全人類を脅かす、驚愕の真実だった。
食べ物がない世界
主人公が暮らすアパートは足の踏み場もない状態で、自分の部屋に向かう階段にも大勢の人が暮らしている。だから主人公ソーンは、廊下や階段に座り込んだり寝たりしている人々を踏まない様に、気を付けて避けながら手すりを使って上がっていき、自分の部屋になんとかたどり着くといった有様だ。
大衆の唯一の食糧と言ってよさそうな食べ物「ソイレント」は、ソイレント社が作っているプレート状の食品だが、ただただ四角い板状の代物で、見たところとても食欲をそそる代物じゃない。大きなトラックに大量のソイレントがむき出しのまま積まれ、配給場に運ばれ、人々はそこに容器を持って群がる。そこにスコップで雑にすくわれたソイレントがザラッザラーッっと配られる。その配給場に群がる人、人、人、人。そしてそれは暴動と化していく。
ソイレント・レッドは○○、ソイレント・イエローは●●から作られた合成食品。ソイレント・グリーンは□□。
あんなクラッカーみたいな、口の中がパサパサになりそうな代物しか食べ物がない社会は実に味気ない。ただただ栄養を取っているだけの人生。
私も大昔は「カプセル型の栄養物を接種するだけ」とか「チューブ状の食べ物」とか「タブレット状で水に溶かして飲む」とか、「カッコイイ!」とまるで明るい未来のように感じたものだ。そういう時代が80年代には確かにあった。でも今となっては全くあこがれない。
自然のままの本物の食べ物は激レアになり、特権階級の人間に独占され、庶民が手に入れる為には法外な金額を払うか、違法に手に入れるしか口にはできない。
映画でも、ハチミツだかジャムだかを不法に手に入れこっそり隠し持っていて、時々取り出してスプーンで舐める犯罪者の女のシーンがでてくる。愉悦の時・・・って感じに演出されていた。
警察という特権を生かしていい感じに職権を乱用するソーンも例外じゃない。特権階級のサイモンソンのところからわずかばかりの本物のレタス、本物のリンゴ、本物のセロリ、本物の牛肉を持ち帰る。それ見て小躍りせんばかりに感激ひとしおのソル。
そしてソルはソーンのために腕を奮って、本物の料理を振る舞う。たいした料理じゃない。でもその時、いつも使っているプラスチックのナイフとフォークではなく、引き出しにしまってあった本物のナイフとフォークを出してきてそれをソーンに使わせるあたり、深い愛情を感じるいいシーンだった。ソルにとってのソーンは、慈しむ「息子」であり、育てたい「未来」なのだ。
この映画の時代設定は2022年。リアルでそういう時代がくるかも。
そして本もない
主人公ソーンを支える老人ソルは、本を読み、理解できる数少ない一人だ。ソーンも十分知的だと思うが、知性が野生のソーンにとって、ソルはアカデミズム的な知性を担当するかけがえのない存在。
ソーンが出先から持ち帰った本を、「昔は本がたくさんあった」と言いながら、わが子をいつくしむようになでるソルが印象的。
この映画の世界で失われているものは本物の食べ物だけではない。
この世界ではもはや本は作られておらず、大衆の間ではほとんど知性が崩壊している様子。本が読めるのはごく一部の人間のみ。彼らは過去に出版された本を一か所に集めているようなのだが、そこに陣取っている知性の門番みたいな人たちは、軒並み80歳くらいの老人ばかり。
彼らが大衆の中にある最後の知性なのであれば、すでに人類は「一部のエリートの言いなり」「家畜も同様」。
私たちの世界は大丈夫だろうか。
女は「家具」
意見は分かれるだろうが、私が「面白いなあ」と思って好きな設定が、この作品内での「女の取り扱い」。
なんと女は「家具」として扱われているこの発想。
個人用と建物用があるらしくて、ヒロイン的な女は殺される富豪サイモンソンの部屋に付属する家具なの。だからサイモンソンが死んでも何も関係がない。彼女の所有者は建物の所有者サイモンソンじゃないし、ただの部屋つきの家具だから、サイモンソンが死んでも当然そのままその部屋にいつづける。
まだ新しい家具だし(若いってこと)、次の入居者が気に入ってくれたし。もう少し年を取るか、気に入られなくなるまでは大丈夫。
だって別によくない? フィクションだし。フィクションはどこまでも自由な方がいい。
そして私の思考を揺さぶってほしい。嫌ならそういう女にならなければいいだけだ。
ソルの最期が美しい
哀しくて、そして美しい決断。映像もすごく美しいと思う。
映画が始まってからずっと、あえて色彩を抑えているのか全体的に色味が乏しくて、いうなれば映画全体が「煮物の色」。別の言い方をすれば「競馬場にいるおじさんの色」。煮しめたような、薄汚れた、人生の色。
それが一転、色彩豊かに、目の前に美しい地球が広がる。
70年代のフィルムだから画質は荒い。4Kとか8Kとか言っている今だけど、この美しさはそういう画素数とかとは全然関係ない。そういうのとは違うんだ、この美しさは。フィルム映画の映像には「文学」がある。
この人生の終わらせ方は、私はうらやましいと思った。
藤子・F・不二夫『定年退食』との関係
・・・ところでこの映画のテーマを藤子・F・不二雄の『定年退食』(1973)との類似を指摘して、藤子がパクったみたいに言う向きがあるみたい。映画の原作「人間がいっぱい」が1966年作品だからかなあ。
藤子・F・不二雄を敬愛する私はどっちも別々に観て、読んで、知ってる。でも盗作だなんて全く思わなかったから、そういう意見があるって知ってちょっと意外だった。
人口爆発と食糧不足がテーマだからかもしれないけど、別に「似ている」とか思わなかった。こういう社会的テーマはみんながトライしていいと思う。別に誰かの専売特許じゃあないでしょ。才能がある作家なら、あれがこうなったら・・・・の点々点を伸ばしていけば誰もが到達するテーマだと思うけど。
それより私は、同じ藤子・F・不二雄の『21エモン』の『銀河系No.2の星』に出てくるボタンポン星の、自ら安楽死施設へ向かうお年寄りたちのエピソードを連想した(もちろんパクリではぜんぜんなく)。
人口爆発とか食糧危機がテーマの漫画ではないけど、不死身の惑星に生きる人々の最後の決断と、ソルの決断が似ている。
どちらも10代の私にいろいろと考えさせてくれた、超名作なのだった。
チャールトン・ヘストンのこと
これは別に悪口ではないのだが、なんかチャールトン・ヘストンって風呂に入ってない感じがする。
もちろんこの作品の役は風呂に入っていない役だと思うけど、ヘストンっていっつも風呂に入っていない感じがする。『ベン・ハー』でしょ、『猿の惑星』でしょ、数日入っていないとかじゃなくて、ずーっと風呂に入っていない感じ。だからこの映画もそういうところがはまり役。
👇 チャールトン・ヘストン
20th Century Fox studios - ebay, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28976087による
年を重ねるごとに豊かに魅力的になっていく人と、逆に貧相になっていく人といるけど、その違いはなんなんだろう。「自信」や「人生の充実」みたいなことがよく言われるけど、必ずしもそうとはいえない気がするんだなあ。
有名人とかみてても、あんなに活躍したあの野球選手とか、あんなに演技派のあの超人気俳優さんとか、どんどん貧相になっていく。「自信」とか「充実」が秘訣なら、彼らは私達には見えないところでひどく自信がなく、充実していないってことになるんだが。
人生は複雑だ。
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👇 藤子・F・不二夫の漫画『定年退職』はこれに収録されいます
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