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【映画】「ベン・ハー(1925)」大正14年の作品。MGM黎明期の渾身の一作。


おすすめ度 ★★★★★

題名 ベン・ハー(Ben-Hur)
監督 フレッド・ニブロ
出演 ラモン・ノヴァロ、フランシス・X・ブッシュマン、メイ・マカヴォイ、ベティー・ブロンソン
原作 ルー・ウォーレス 「ベン・ハー」(1880)
制作・配給 MGM
上映時間 141分
制作年 1925年
制作国 アメリカ
ジャンル サイレント、モノクロ、スペクタクル、キリスト教
 
 
1907年の15分版につづいて2度目の映画化で、モノクロ、サイレント映画。

サイレントでも、しっかり141分。

MGM黎明期の渾身の一作で、この映画の成功によってその後のMGMがある。
 
20年代で200万ドルとも390万ドルとも言われる巨額の制作費を投じただけあってすごくスペクタクルだし、セリフなんかなくても何を言っているのか分かるほどの演技と演出だから分からないところも全然ないし、あの戦車競争のシーンも1959版と比べて別段見劣りすることもない。エキストラも12万人動員したらしいし、こういう昔の映画を見ると「映画って本当にすばらしいものですね水野晴朗」という気持ちになる。
 
こうなってくると1959年版いらないじゃん、この1925年版でいいじゃん、とさえ思えてくる(もちろん言うまでもなく1959年版も凄いけど)。

しかし20年代の200万ドル(390万ドル?)って、今に換算するといくらになるのかしら。全然想像できない。
 
 

あらすじ

ユダヤ貴族の息子ベン・ハーは、イスラエルの支配者であるローマ軍の将校となった幼馴染の親友メッサラと再会するが、メッサラは支配者気取りでベン・ハーのことを人間扱いせず、すっかり傲慢に変わっていた。その上、誤って瓦を落とし提督の頭にぶつけてしまったベン・ハーはメッサラに捉えられ奴隷にされてしまい、母と妹まで捉えられ牢獄につながれてしまう。ガレー船の漕ぎ手としてこき使われるベン・ハーはメッサラへの復讐を決意する。

数年後、ローマの将軍の命を助けた縁で彼の養子となり、奴隷の身分から抜け出すことに成功、その上戦車競争のホープになってローマ市民の英雄となっていた。今度の戦車競争にメッサラが出場することを知ったベン・ハーは自分も「無名のユダヤ人」としてレースに出場することを決意。全財産をかけてメッサラを破産させようと目論む。レースはメッサラの再三の卑怯な手にも屈せずベン・ハーが優勝する(メッサラは落馬)。

実家に帰ったベン・ハー。母と妹はとっくの昔に死んだと知らされていたが、ライ病を患っていたもののまだ牢のなかで生きていた。十字架にかけられゴルゴタの丘に向かうイエスの奇跡によって、幸運にも、母と妹の病は癒え、親子は再会を果たすことができて物語は終わる。


 



解説

やはり素晴らしかった。ううーん、やっぱり映画にセリフっていらないのかもしれないなあ。大正14年でなあ、こういう映画をなあ、作るんだよなあ、アメリカは。
 
今作を見るとあの有名な1959年版ベン・ハーが、今作を完全に下書きにしていることが分かる。多少時系列が前後してシンプルになっているとはいえ、ストーリーはほぼ同じ。構成とかカットとか演出とか、もう完全リメイクというか、おんなじ。
 
1959年版でみられた「イエス様が姿を現さない手法」も、今作でも「手だけ」だったりして、すでに徹底されている。
 
1959年版の監督であるウィリアム・ワイラーは、この1925年版にも助監督として参加していたらしい。評判の高い1925年版をしっかり踏襲して観客の期待を裏切ること無く、最新技術を駆使して商業的にもパワーアップを狙ったのだとしたら、それはもう大成功している。

でもこの1925年版を見れば、これだけでもいいんじゃないかなと思うのも事実。こっちだけでもきっと満足できる。それくらい素晴らしい作品になっていた。

 
映像的には基本はモノクロ映画だけれど、途中でセピア色になったり、イエス登場シーンなどは二色法カラーになったりする。
 
白黒写真やモノクロ映像はそれはそれでとても美しいものだが、途中で二色法とはいえカラーになると、色彩があるということは豊かなことなんだなあと、改めて思ったりする。衣装なんかも「ああ、ちゃんと色があるんだな」と当たり前のことを思う。
 
 

1959年版との大きな違い

1959年版との大きな違いは、主人公のジュダが戦車レースでメッサラを打ち負かした後、頭角を現し始めていたイエスがローマを撃ち滅ぼしてくれると思い込んだ民が兵を挙げて付き従おうとする場面や、

ライ病になった母と妹がイエスに癒されるくだりにジュダが全く関わっておらず、癒された後でジュダと合流しているあたり。
 
 
でも最も「は!違う!」と印象に残ったのは、ハー家の奴隷シモニデス(サイモニデス)の描き方。
 
1959年版ではハー家の忠実な使用人といった人物で、忠誠心の塊という単純かつ典型的な人物に描かれているが、今作でのシモニデスはもう少し興味深く描写されている(セリフがないのも関わらず)。
 
今作のシモニデスも同じく無人になったハー家の財産を守るために尽力するのだけど、年月が流れジュダも母妹も死んだと知らされると、ハー家の財産を使って大金持ちの商人として成功して権力者となっていて、娘のエステルには実は奴隷身分であることを隠して育てている。ところが目の前にジュダが現れる。

そこで、本当は自分たちが奴隷であることをエステルに告白し、ジュダに財産を返すべきか迷うという、人間味ある人物として描かれている。
 
迷うのも無理はない。このシチュエーションであれば言わなきゃ分からないかもしれないし、なにより何不自由なく育てた愛する娘を奴隷の身に落とさなきゃならないんだから、シモニデスの葛藤は理解できる。
 
そして世間知らずの娘ぶりを発揮するピュアなエステルに「真実はひとつ!」的に諭されて、娘ともども奴隷の服に着替えてジュダの前に姿を現し、真実を告白して財産を返すという、イエス様が好きそうな展開に。

罪は許された。大丈夫、天国決定!
 
 

ラモン・ノヴァロについて少しだけ

主演のラモン・ノヴァロはこのベン・ハー役で大スターになったお方で、たぶん今でいうところのセックス・シンボル的な存在になったのだと思う。若い肉体とアクション、若い女性がキャーキャーと。ラテン系だし(メキシコ系)。

 
彼の作品は私は他に、グレタ・ガルボと共演した『マタ・ハリ(1931)』だけ見ている。この時のノヴァロの印象はあんまりよくなくて、ガルボがすらっと完璧なスタイルを誇っているものだから、ノヴァロがなんだかチンケに見えて仕方なかった。しょぼ。みたいな。

ガルボは公証170cmとも言われていて、ノヴァロと同じくらいと思われる。なんならノヴァロの方が小さいと思う。それにガルボは絶世の美女でカリスマ性もハンパない。ちょっとさすがに格が違うという印象だった。

しかし! こちらの『ベン・ハー』では見違えた! これでスターになったというのもうなづける。1959年版のチャールトン・ヘストンに優るとも劣らない、説得力のある存在感を見せていた。

彼はこのベン・ハー役で当たりを取ったあと、数年間のスター時期を経て人気に陰りがでてくる。30年代の後半には、映画でというよりもピーク時に投資していた不動産の利益で生活していたらしい。私生活では同性愛者だったらしく(多いね)、そのことで悩んでアル中になっていき、果ては男娼の斡旋かなにかをしていたようで、そこから発展したトラブルに巻き込まれて殺害された。犯人はノヴァロが大金を持っていると思っていたらしいが、ノヴァロはその時20ドルしか持っていなかった。

セックス絡みの事件で殺されるという、オチ。悲しい。


と、なんだか悲しい気分になってしまったが気を取り直して、映画自体は素晴らしい出来なので、1959年版が気に入ったならぜひこちらの1925年版も見てもらいたい。映画に対する尊敬と愛が深まること請け合いです。


 

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