題名 さらば青春の光
監督 フランク・ロッダム
出演 フィル・ダニエルズ、レズリー・アッシュ、トーヤ・ウィルコックス、フィリップ・デイヴィス、マーク・ウィンゲット、スティング、レイ・ウィンストン
音楽 ザ・フー
上映時間 117分
制作年 1979年
制作国 イギリス
ジャンル 青春、ロック
「俺は同じなんて真っ平だね。だからモッズさ。大物になりたいんだ」 ジミーの台詞より
バイク、ドラッグ、パーティ、ケンカ。つまらない両親につまらない仕事、希望のない未来。60年代の若者が、精一杯背伸びしてイキがって、そして絶望していく、ジリジリとした焦燥感で一杯のカルト青春映画の傑作。
映画の原作は、ザ・フーのロックオペラ・アルバム「四重人格」。
同じようにザ・フーのアルバムから作られた映画は他にも「トミー(1975)」があって、すごく有名だから一応見ているけど、抽象的で私にはあんまりよくわからなかった(いつかもう一度見直してみるけど)。
ちなみにモッズというのは60年代のイギリスで流行したファッションで、マッシュルームカット、三つボタンの細身のスーツに細いネクタイ、M-51ジャケット、スクーターなどが象徴的。音楽的にはロックの派生ジャンルなんだろうけど、ファッションやライフスタイルで差別化されている感じ。
労働者スタイルといっていいロック・ファッションに対して、モッズは都会的でスマートな印象。一見いいとこのボンボンみたいな。
ビートルズもデビュー前のスチール写真や動画などを見ると、ジーンズに革ジャン、リーゼントのロックスタイルだったけど、結局デビューする時にはモッズ・ファッションになっていた。
イギリスっぽくないですか? 上流階級が存在するイギリスならではのファッション・ムーヴメントだと思う。労働者階級しかいないアメリカでは根付かなかったのも頷ける。
まあ、私は今までザ・フーを全然聴いてこなかったし、聴いていたとしても私には音楽を語る能力はない。さらにファッションを語る資格もないので放棄するが、その「四重人格」を映画化した本作はすごい傑作だった(期待してなかったから思いがけなくてびっくりした)。
作品の舞台は60年代のロンドン。若者たちの流行のファッションはモッズとロッカーに分かれていて、お互いにいがみ合っている。
主人公のジミーは広告会社のメールボーイ。仕事は雑用しかなく退屈だ。家に帰れば同じく退屈で希望のない両親が、カウチに座ってテレビを眺めている。ジミーはモッズ仲間と共に、バイクとドラッグ、パーティと喧嘩に明けくれている。
海沿いにある町ブライトンで、モッズとロッカーの大きな集会が予定されていて、大きな暴動になることは間違いない。ジミーたちはそのブライトン当日を楽しみにして、その日を充実したものにするべくドラッグの調達に余念がない。
ブライトン当日、意気揚々と参加したジミーは大暴れの結果、警察に捕まり拘留されてしまう。が、一緒に拘留された中にモッズのカリスマ、エースがいた。彼は自分に課せられた罰金75ポンドを「今すぐ払ってやる」と懐から小切手を出してサインをする。ジミーらモッズたちは大喝采だ。
ジミーが50ポンドの罰金とともに家に帰ると、ブライトンに参加し拘留されたことや、ベッドの下にドラッグを隠していたことなどが母親にバレていて大喧嘩になり、家を追い出されてしまう。そのうえ狙っていたステフは仲間といちゃついているし、サボりを上司に指摘され、キレて文句をぶちまけ仕事も辞めてしまう。バイクで街を走っていると郵便トラックと激突しバイクはオシャカ。踏んだり蹴ったりだ。
ジミーが街を歩いていると、ジミーの憧れ、エースのバイクが止まっている。ところがエースはホテルのベルボーイの制服を着て、金持ちの荷物運びをやっていた。幻滅したジミーはエースのバイクを盗み、岬へと走って行く。
登場人物たちは、別段どうってことのない、目立たないごく普通の若者たちという感じ。大スターが出ているわけでもなく、みんなハンサムでもたいした美人でもない。”見た目が良い”ということになっているピーターだって、別に全然格好良くない。
ジミーの名前なんて、「ジェームズ・マイケル・クーパー」ですよ。平凡すぎるw 親さー、キラキラまでは行かずとも、もうちょっとなんとかしてあげて。
そんな中、ただひとりスティング演ずるエースだけは、さすがに格が違う感じで目立っていた。
学校とかにいたでしょう、仲間内ではカッコいいとか美人とかになっているけど、よく考えてみたら別にどうってことなかったという友達が(アレナンナンダロウネ)。
でも都会とか出るとこ出れば、本当に格好いい光るヤツって、いるよねえ。ちょっと格が違うヤツ。
そのあたりのキャスティングも、これは特別な物語ではなく、見ている観客の、映画館を出た地続きの向こう側にこの物語がある、という感じでリアルなのだ。
映画の感想を言えば、私は大変傑作だと思った。わたし、このジミーが分かる。いい年をしていまだに中二病の私は、このジミーは私だと思った。
「若い頃ジミーみたいでさあ」とかじゃないよ。
私にはドラッグもバイクもパーティもケンカも無理。私は不良だったことが無いし、不良に対しての憧れはあったけど、その中にいたことはない。
とにかく「つるむ」ということが全くできない。たぶんしたことがない。不良グループだけでなく、デモとかしている人たちの映像を見ても、私は参加できないなと思う。
なぜなら「集団で考え込む」ことができないから。私は私が考えたいし、自分で判断したい。でも集団に属するとその集団の論理みたいなのに賛同しなくちゃいけなくなるでしょう?
それ私できない。だから私はいつもひとりで考えてる。たぶん孤独に強いんだろう。
だから映画を観ていて、私はジミーの、仲間との毎日みたいなのは理解できない。私はその中にいない。
だけど、ジミーの気持ちはよく分かる。
特にブライトンから帰ってきて、母親にガミガミと怒鳴られるくだりから、俄然この映画は「私が主人公」の映画になった。
親はさ、大人はさ、ずるいんだよ。そうやってさ、「ドラッグがどうの」「警察にやっかいになってどうの」「仕事がどうの」「お前のためを思ってどうの」「ご近所さまがどうの」って、そういう細かいひとつひとつのことだったら、そりゃあジミーが悪いもん。
自分が悪いから、そのやってしまった「悪いこと」から逃げられないもん。
だけど、ジミーが言いたいのは、ジミーがイライラと怒っていて、不良行為をして叫んでいるのはそういうことじゃないの。あなたたちには絶対に分からないことだと思うけど、永遠に分からないことだと思うけど、でもいい機会だから言うよ!
ジミーは、あんたたちみたいになりたくないんだよ!
だけど、なっちゃいそうだからイライラしてんだよ!!
で、結局なっちゃうんだよおおおお!!! くっそー!!!!
・・・字を大きくすることを覚えました。
それにさ、仲間たちもさ、今は一緒になって「社会への反発」「自分を待ち構えている、おそらくつまらない未来への抵抗」みたいなことしてるけどさ、結局はさ、時が経てばみんなさ、さらっとそういう風になっていきそうな気配がさ、漂ってきてるしさ。
結局、自分だけがバカ見て取り残されそうな気配が濃厚だしさ(本当にこの映画はよく出来ている)。あああ、大人になるってなんだろなー。
映画を観る前は、すでにいい大人の私には、もうこういった青春映画は分からないんじゃないか、と思っていた。
思ってたけど違ってた。
結婚もせず、子供もいない私は、ずっとずっと子供目線で生きる、永遠の中二病だからさああ。
しかも私、今がまさにジミーとおんなじ状況なんですよね。年齢だけじゃあ、ない。
だけどいいよ、若者は。こうやってグレたり拗ねたりして、同じような仲間もいて一緒にグレてくれて、それでも若いからまだ負け犬感もなくて「若さ故の過ち」的に、結果的には ”青春” てことになって。
いい年した大人がジミーと同じような状況で、未来もなくてグレたい気分の時は一体どうすりゃいいですか。大人になると未来が少ないからか、グレてもみすぼらしくって、負け犬感がハンパなくって、なんか・・・格好がつかないんですけど。
中年とか熟年は、どうしたら格好良くグレられますか?
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