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【映画】「ノートルダムのせむし男(1939)」~こちらも傑作だった~チャールズ・ロートン版カジモド

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題名 ノートルダムのせむし男
監督 ウィリアム・ディターレ
原作 ヴィクトル・ユーゴー「ノートルダム・ド・パリ」1831年
出演 チャールズ・ロートン、モーリン・オハラ、セドリック・ハードウィック、エドモンド・オブライエン、ウォルター・ハンデン、ハリー・ダヴェンポート
音楽 アルフレッド・ニューマン
上映時間 116分
制作年 1939年
制作国 アメリカ
ジャンル モノクロ、ドラマ、文学


以前、ロン・チェイニー版「ノートルダムのせむし男(1923)」を見たが、同じ原作でありながら全く違う切り口で、全然別の作品のように感じた。ロン・チェイニー版の方は相当コミカルに演出されていて、悲壮感というよりユーモラスですらあったが、今作の方はユーモラスさは全くなく、かなりリアルな作品になっていて、前作とはまた別の意味で傑作だと思った。

カジモドのメイキャップも前作は肉襦袢感があってかなり漫画的だったけど、今作はリアルなメイキャップで登場シーンはちょっと目をそむけたくなる印象を持った。見ていくうちに慣れるというか、まあ・・・やっぱり慣れなんだろうな、気にならなくなる。

原作は未読なので比べられないが、ロン・チェイニー版と比べるとより詳細に語られている印象を持った。上映時間はこちらの方が16分長いくらいで大きな差はないのだが、やはりロン・チェイニー版がサイレントだったのに対してこちらはトーキーなので、そこが情報量の違いかも。

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****** あらすじ ******
ルイ11世治世下のパリ。祭りで踊るジプシーの娘エズメラルダは、その美しさで貴族のフロロ伯爵の目に留まる。エズメラルダは世界中でおこなわれるジプシーへの迫害をやめてもらおうと国王ルイ11世に嘆願しに行くが、追われてノートルダム寺院へ逃げ込み、そこでフロロ伯爵とせむしの醜い男カジモドと出会う。カジモドの醜さに驚いたエズメラルダは逃げ出し、フロロ伯爵はエズメラルダを捕らえようとカジモドに追わせる。カジモドがエズメラルダをさらおうとしたところを騎士フィーバスが救い、エズメラルダはフィーバスに恋をする。

その後、盗賊たちの集落「奇跡御殿」にかくまわれたエズメラルダは、盗賊たちに囚われた詩人グランゴアルを救うために、形だけの結婚をする。一方捕らえられたカジモドは裁判にかけられ、むち打ちとさらし者の刑に処せられる。水を求めるカジモドに、民衆は嘲笑を投げるだけで誰一人憐れみをかけることはなかったが、エズメラルダだけがカジモドに水を与える。初めて女性に優しくされたカジモドはエズメラルダに恋をする。

フロロ伯爵はエズメラルダに自分のものになるよう迫るが拒絶され、エズメラルダが思いを寄せる騎士フィーバスをナイフで殺害、側にいたエズメラルダはフィーバス殺しの容疑で捕まってしまう。フロロ伯爵は自分の身を守るため、エズメラルダに魔女の烙印を押し、エズメラルダの絞首刑が決定する。

絞首刑の日、エズメラルダをカジモドが救出してノートルダム寺院へかくまい、民衆はカジモドに大喝采を与える。カジモドとエズメラルダの間には心の交流が芽生え始める。そのころ、詩人グランゴアルや盗賊の親玉クロピンは、それぞれのやり方でエズメラルダ救出へ乗り出す。グランゴアルはペンの力で、クロピンは武力で実行しようとする。

いよいよクロピンがノートルダム寺院へ攻撃をかける。エズメラルダを殺しに来たと思うカジモドがひとりで応戦。大勢の命が奪われる。エズメラルダを奪おうと現れたフロロ伯爵をカジモドは塔から投げ落とし、フロロ伯爵は絶命する。そこへ兵士とグランゴアルが登場し、嘆願によって国王ルイ11世がエズメラルダの無実を解いたこと、さらにフランスにジプシーが住むことも許可されたことを告げ戦闘は終わる。エズメラルダは自分を救ったグランゴアルと共に去り、カジモドはその後姿を見送る。ハレルヤが鳴り響く中、映画は終わる。
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ロン・チェイニー版とくらべて細かい違いは多々あるが(こちらではフィーバスが死んでカジモドが死なないとか)、そんなことよりも周辺の人物、ルイ11世やフロロ伯爵、詩人グランゴアルなどの人物像が詳細に語られていることと、ルイ11世治下のパリの様子や時代背景がよく分かることが良かった。


映画冒頭から「今回はロン・チェイニー版とは大分切り口が違うよ」と言わんばかりに、ルイ11世の人物像が丁寧に語られている。

当時グーテンベルクの活版印刷が発明されて間もなくであり、ルイ11世はその活版印刷を保護した人物としてこの映画でも登場する。かたわらに付き添うフロロ伯爵が「民衆に知恵をつけるのは極めて危険である」とルイ11世を戒めるが、ルイ11世は全く意に介せず、むしろ奨励している姿が描かれている。

祭りのシーンでも、見物する貴族たちと「地球は丸いか、平面か」で議論をしているが、ルイ11世は「丸い」と答えていて、事実を誰よりも早く受け入れる柔軟かつ科学的な一面を持つ人物として強調されている。

映画では、国王なのに割と軽いノリでパリ市民と交流している様子もあるし、終盤には活版印刷の発明で民衆が書物を簡単に手に入れられるようになり、実際に知恵をつけ、今まさに貴族に立ち向かおうとしている姿を笑って面白がっているふしもある。

じいさんなのに柔軟。

そんな科学的な一面を見せたかと思えば一転、エスメラルダの裁判の時は、二つの短剣のうち、どちらを選ぶかで有罪か無罪かを決めよう、「神判にかけよう」と言い出すような非科学的な一面も見せる。

それにフランス人らしく風呂嫌いなのか、召使に「年に2回は入ってください」とか叱られちゃって、それをルイ11世も「入れば長生きできるかな?」なんて言って笑ってる。かわいい。

総じてとても魅力的な人物として描かれていた。

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そしてフロロ伯爵だが、印刷技術の進歩により、本の普及が人々に知識を与えて世の中が変化するのを恐れる保守派としてまずは登場する。後半には印刷機械を「悪魔の機械」と呼んで破壊したり、ルイ11世には再三にわたって印刷技術の向上が民衆に知恵をつけ、自分達貴族を脅かす存在になることを警告している。

かなりの保守派だけど、言っていることはあながち間違ってはいない。実際に書物の普及が庶民の知的レベルをあげていき、やがては王制そのものが廃止されてしまったのだから、フロロの不安は的中している。

ルイ11世も間違っているわけではなく、先に見る未来が違ったんだろう。フロロは王制の維持を、引いては貴族制を維持することで自分の身分を守ろうとしての考え方だし、ルイはそういう保身的な発想ではなく人類の未来みたいな視点で考えていたんだろう。

一見聡明で格好いいのはルイかもしれないが、無責任な気もする。自分はもうすぐ死んじゃうし、5年後とかに革命は起きないだろうしね。300年後に王制が倒されてももう関係ないしね。フロロは結局敗れるけど、現状を維持することを考えるのは別に悪いことではない。これはただの必然。

人間は誰でもみな革新的な面(時)と保守的な面(時)と、両方持っているものだと思う。どちらの態度も必要だろうと思うし、どちらの立場も理解できる。

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フロロはまた、ひどく偏見に満ちていて、エズメラルダのことを「大衆の前で踊り、男たちの欲情を呼び起こした」と非難し、あげくは「魔女め、絞首刑にするぞ」と言っている。

フィーバスを殺し、クロード大司教に犯行を告白する時も、「ある女を愛するあまり男を殺した。おの娘は悪魔の仕向けた罠。神の使いとして私に救いの手を」と言い、殺人者は救えないとクロード大司教に拒絶されると、「では女に死を。私を殺人に駆り立てた。私を魅了した罪で死刑に」と言って、クロード大司教に「女に罪はない。罪のすり替えか、まさに悪魔の論理だ」と言われている。そして自分を救うためにエズメラルダを魔女として処刑しようと企てる。

その反面、カジモドの保護者としては慈悲深い一面を持っていて、そもそも捨てられていたカジモドを拾って兄のクロード大司教に預けたのはフロロだし、なにかにつけてカジモドを気にかけている。むち打ちのあとさらし者になって水を欲しがるカジモドの元に駆けつけ、フロロは無表情に見つめて何もせずに去っていくのだが、そのあと何もできなかった自分を責めて兄のクロード大司教に告白し、慰められたりしている。

無表情な顔の向こう側で、本来は優しい人間性を持っていたのではないかなあ、と思うのだが(ぜんぜん発揮しないのだが)。

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それにしても中盤で繰り広げられるエズメラルダの裁判が徐々に魔女狩りの様相を呈していくのだが、前述したフロロの、自分の罪を巧みにすり替えていく「悪魔の論理」と共に、中世で長いこと吹き荒れた魔女狩りについて考えさせられる。

映画での裁判シーンでは、信じられないことだろうがヤギも裁判にかけられ、エズメラルダと共にヤギも絞首刑が言い渡されている。

八木さんという人間とかじゃないよ。動物のヤギ。

実際、中世の魔女狩りの時代には数々の動物裁判が行われていて、暴れて人を殺してしまったブタやウシなどが人間とまったく同じ手続きを取って、大真面目に裁判が開かれ有罪か無罪かが争われている。ブタやウシなどは、当時はまだ今ほど家畜化されていなかったから、現代よりもはるかに狂暴だったらしい。

ブタやウシだけでなく、イヌやネコ、バッタやミミズにいたるまで真面目に裁判にかけられているのだ。

このあたりに興味のある方は、講談社現代新書から出ている『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス』池上俊一著 を参照されたい。中世に吹き荒れた動物裁判について、数々の実例をあげて分かりやすく紹介してくれます。


 

ここでカジモドやエズメラルダについても。

カジモドのメイキャップは冒頭にも触れたとおり、かなりリアルでぜんぜん笑えない。小さな目が哀れを誘ったりして、主演のチャールズ・ロートンの演技力もあいまってかなり秀逸。

エズメラルダ役のモーリン・オハラはさすがの美しさ。前作のエズメラルダとは全然違くて納得の人選。

そのエズメラルダの処刑寸前にカジモドが救い出すシーンでは、カジモドがロープを使ってターザン並みに登場してエズメラルダを救出し、民衆は大喝采。そこへハレルヤが鳴り響いて、もう大クライマックス。ハレルヤ、ハレルヤって、キリスト教徒でもなんでもないけど、やっぱりドラマチックで感動した。

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そしてロン・チェイニー版でも好きだったグランゴアル。今回のグランゴアルも好きだった。

前作ではグリンゴアという吟遊詩人でマンガみたいな脇役だったが、今回は俄然ちゃんとした人間性をもって登場してしっかり活躍する。ペンの力で世の中を変えようとするインテリなところがいい。

途中でフィーバスにぞっこんのエズメラルダと結婚して仮の夫婦になるけど、ラストにエズメラルダと共に立ち去る姿を見ると、これから本当の夫婦になれそう。実は最初から気が合ってたしね。いいと思うよ。幸せにね、グランゴアル!

というわけで、前作とはまったく趣の違う作品でありながら、両方とも見た方がいい傑作だったという結末。おすすめです。

 

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