エムログ

古い映画を中心に、本、仕事・・・etc. 驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「アラバマ物語(1962)」人種差別問題の根深さが、善人アティカスの向こうに透けて見える ~詳しいあらすじ付き~

f:id:msan1971:20190903225339j:plain


題名 アラバマ物語
監督 ロバート・マリガン
制作 アラン・J・パクラ
脚本 ホートン・フート
原作 ハーパー・リー「アラバマ物語」1960年
出演 グレゴリー・ペック、メアリー・バダム、フィリップ・アルフォード、ジョン・メグナ、ブロック・ピーターズ、ロバート・デュバル
音楽 エルマー・バーンスタイン
上映時間 129分
制作年 1962年
制作国 アメリカ
ジャンル ドラマ、モノクロ、社会派、法廷もの、アカデミー脚色賞、アカデミー主演男優賞


時は1932年。世相は世界大恐慌の真っただ中で、そして人種差別の目立ちやすいアメリカでも特に黒人差別の嵐が吹き荒れていたアメリカ南部が舞台。

テーマは重いが難しい物語ではないし、物語がうまくできていて南部の町や大人たちの様子が子供たちの目線で描かれているため、スムースに世界に入り込める。

原作は1960年代のベストセラーであり、映画も大ヒットして名作の誉れも高い。主演のグレゴリー・ペックがアカデミー主演男優賞を、脚本がアカデミー脚色賞を、さらにスカウト役を演じた女の子メアリー・バダムがアカデミー助演女優賞にノミネートされたが、当時史上最年少ノミネート(10歳)だった(このノミネートは妥当)。

黒人差別の問題について本を読んだりするのはエネルギーがいるし敷居が高いが、本作はアメリカの黒人差別の歴史の一端を知るには入門編と言える。

f:id:msan1971:20190903231327j:plain


****** あらすじ ******
1930年代のアラバマ。兄妹のジェムとスカウトは弁護士の父親アティカスと3人暮らし。家には通いの黒人家政婦キャルがいて、二人の面倒を見てくれている。ジェムとスカウトの近所は子供たちの好奇心をそそられる人々ばかり。中でも隣の家のラドリーさんの家には、”ブー” と呼ばれる鎖で繋がれた身長が2mもある頭のおかしな男がいるともっぱらの噂で、誰も姿を見たことがない。

ある日、アティカスのところに判事がやってきて、地元の白人女性が暴行を受けた事件の容疑者である黒人トムの弁護を依頼してくる。アティカスは引き受けるが、それが原因で近所との軋轢が生じてしまう。特にスカウトは父親が黒人の弁護を引き受けたことでいじめられ、やんちゃなスカウトは毎日男の子と喧嘩ばかり。

ある晩、被害者である白人女性の父親ユーエルさんを筆頭に、町の白人男性たちは徒党を組んで容疑者トムの自宅を襲おうとする。アティカスが対応する中、付いてきていた子供たちは間を割ってアティカスに寄り添う。スカウトは怖い顔をしている大人たちを見ているうちに、以前アティカスに木の実を持ってきてくれたカニンガムさんがいることに気が付く。カニンガムさんの息子はスカウトと同級生であり、お弁当を持ってくることすらできない貧しい少年で、そのことをからかったスカウトと喧嘩をしてしまい、スカウトをとがめた兄のジェムが少年を夕飯に招いたことがあった。まだ幼いスカウトは、他意なくカニンガムさんに向かってその時の出来事を口にする。勢いをそがれた男たちは、その場はいったん引き下がる。

いよいよ裁判の日がやってくる。ジェムとスカウト、友達のディルはいても立ってもいられず裁判所へ駆けつけ、黒人たちと一緒に2階席に陣取り裁判の行方を見守る。原告側の保安官、被害者の父ユーエルさん、被害者の三人はトムが犯人で間違いないと激しく主張。トムによって右目を殴打されて黒あざができ、首を絞められ、首の前側も後ろ側にも指の跡がくっきりと残っていたという。しかしアティカスの反対尋問によって、トムは左手が全く動かせないことが判明。右目を殴るには左手が妥当であること、片手では首の周りにあった指の跡の説明がつかないことなど、矛盾点を明らかにする。

そしてトムが証言台に立ち、彼女には日ごろから頼まれごとを盛んにされていたこと、彼女がお礼に5セントくれると言っても受け取らなかったことを証言する。また、父親や7人もの弟がいるにもかかわらず力仕事を自分に頼まなければならない彼女を「気の毒に思った」と語る。そして事件の当日は、彼女の方から家に招き入れたこと、用事があるといった割にはなさそうだったこと、彼女の方からしがみつきキスをしてきたこと、自分はキスをしたことがないためキスしてほしいと言ってきたことを、切実に語る。

アティカスの最終弁論のあと、陪審員たちは審議に入る。しかし下した結論は「有罪」であった。アティカスはトムに「希望を失わないよう」話す。しかしトムは護送される途中、護送車から逃亡。尋常ではない様子で走りつづけたトムを保安官がやむなく発砲。足に当てようとしたが上手くいかず、死亡してしまう。

ジェムとスカウトは学校のハロウィン・パーティに参加する。スカウトはハムの被り物で参加するが、帰りに服が見つからず、仕方なくハムの格好のままジェムと帰宅する。二人は帰り際、何者かに襲われてしまう。スカウトを守ろうとしたジェムは気絶するが、そこへもう一人別の男が現れ二人は救われる。気絶したジェムを抱えて家へ運ぶ男をスカウトは追いかける。ジェムは左腕を骨折しており、二人を襲ったのはユーエルさんで、二人を救ったのはブーだった。ユーエルはナイフで腹部を刺されて死亡していたが、ブーの正当防衛は明白だ。しかし家から出ずに生活する ”ビッグ・シャイ” なブーを裁判に引きずりだし、世間の好奇の目にさらすのは反対だと保安官は主張し、スカウトもそれに同調。アティカスも同意するのだった。
**************************

f:id:msan1971:20190903231408j:plain


この作品には暴力的な黒人差別の描写というのは非常に少ない。白人が黒人に暴力を加えたり殺したりするような、KKK(クー・クラックス・クラン)的な激しい描写はない。せいぜい20人くらいの労働者階級の白人がトムの家に押しかけたりはしているが、結局はスカウトらの存在が功を奏して引き返しているし、アティカスが黒人に味方したことを面白く思わないユーエルさんが、夜、ジェムがひとり車に残っているところを酔って暗闇から現れて突進してくるが、特に暴力に訴えることはせずに終わっていたりする(とはいえ怖いことは怖い)。

暴力的なシーンと言えば、ラストでジェムとスカウトがユーエルさんに襲われるシーンくらいで、それも直接的な描写は避けて、もみ合うユーエルさんとブーの腕がアップになって、ジェムが倒れるくらいのもの。ユーエルさんはナイフで刺されるけど、そのナイフで刺す映像は一切ない。あえて言えば喧嘩っ早いスカウトが一番暴力的だったくらいだ。

この作品はそういった直接的な暴力ではなく、不公平さや理不尽さに焦点をあてているところが特徴なのだろうと思う。その理不尽さの象徴が裁判シーンに凝縮されている。

まず裁判所の傍聴席は、1階が白人、2階が黒人に分かれている。そして陪審員12名は全員が白人で黒人は一人もいない。

そしてトムの犯罪を立証しようとするのはたった3人の白人で、しかもそのうちの2人は本人と父親だ。その証言は矛盾に満ち、被害者本人などは明らかに嘘を言っていると思われるし、しまいにはアティカスに矛盾点を突き付けられると取り乱してヒステリックに叫びだす始末。しかし陪審員たちは2時間の協議の末、トムの有罪を選択するのだ。

f:id:msan1971:20190903225640j:plain


しかし救いもある。

裁判を見ようと駆けつけたジェムとスカウトが黒人牧師に連れられて2階席で傍聴することになるのは、子供たちにはまだ差別的な思想が植え付けられておらず、大人たちの理屈に合わない偏見に毒されていないことの象徴だろう。彼らはまったく当たり前のように黒人牧師に話しかけ、黒人牧師も自然に席を与えてあげている。ここでの彼らはただの同じひとりの人間だ。


さらにアティカスの家で家政婦をしている黒人女性のキャルは差別的な扱いを受けるどころか、まるで二人の子供の母親のように振る舞っている。子供たちも懐いているし、キャルも全然遠慮しない。

たとえば、スカウトはとても率直な女の子で、思ったことをすぐに口に出して相手を傷つけることがあるのだが、ある日カニンガムさんの息子が貧しくてお弁当を持ってこられないことを言葉にしてケンカになり、止めに入ったジェムがその息子を夕飯に誘うシーンがある。するとその息子は無邪気にも「牛肉なんて久しぶりだよ。いつもウサギや鳥を銃で撃って食べてるんだ」と言い、さらに「シロップが欲しい」と言って、キャルが運んできたシロップを、肉や付け合わせ、パンなど食事全体に大量にかける。それをスカウトは「信じられない」という顔で眺め、「それじゃ食事が台無しよ」と言う。

すると黒人家政婦のキャルは台所にスカウトを呼びつけて、「彼はお客様よ。尊重しなさい。お行儀よくできないのなら台所で食べなさい」みたいなことをきつく言う。アティカスがキャルに子供達の面倒を、しつけの面でも任せていることは明白だ(任せきりではないが)。


二人には母親がいないので、そういう母親的な役目を与えている特殊なケースとみる向きもあるだろうが、アティカスはこのキャルを夜は家まで車で送っていたり、子供たちに危険が及びそうなときは泊まってもらったりしている。そしてそれを申し出るアティカスはいたって対等な態度だし、キャルの方もやはり対等に振る舞っているように見えるのだ。

それがアティカスの人間性なのだろう。

f:id:msan1971:20190903230059j:plain


実際、アティカスはたいへん立派な人物だと思う。

でも立派すぎる。あまりにも立派すぎて、北部に引っ越した方が子供たちも幸せなんじゃないかと思ったくらい。

インテリで、理想や正義の炎を内面に静かに燃やすタイプで、暴力を嫌い、スカウトが喧嘩っ早いことを優しく厳しく戒め、ジェムに銃を持たせることにも慎重(ジェムは早く持ちたくて仕方ないのだが)。ジェムが「フットボールの試合に一緒に出てほしい」とお願いしても年齢を理由に断り、しかもジェムにフットボールでのタックルを許可していないふしもある。そういう具合に暴力を否定する人物としてアティカスは描かれている。

でも狂犬が出てジェムらが危険にさらされたとき、アティカスは最初こそ保安官に射殺を任せようとするが、彼は射撃があまり得意ではないと言ってアティカスに譲る。そしてアティカスは一発で犬を打ち殺すのだが、ジェムは今まで見たことのない、いわゆる ”男らしい” アティカスを初めて見て、すっかり見直すという出来事が起こる。アティカスはそういう風に、自分の能力をひけらかすことがない男なのだ。

謙虚で実に立派。まるで聖人。

そんなアティカスが差別主義の根強い南部で、しかも教育も受けていない人々のなかにいれば、たとえ彼が正しくても多勢に無勢だと思う。正しくても少数派だと理解者を見つけることも困難で、大変に生きづらいだろう。アティカスのそのような聖人ぶりが、実際にユーエルさんの反感を買っているふしもあった。

アティカスは大人だし、自分の人生を自分で選択した結果なのだからこれで全然いいと思うが、子供たちはどうなんだろう。父親と父親以外の全員が全く別の考え方を持っていたら、何が正しくて何に従えばいいのか混乱するだろうな。きれいごとだ! ってなんないのかな。

私にはアティカスの聖人君主ぶりがちょっと引っ掛かるのだった。

f:id:msan1971:20190903230157j:plain


その引っ掛かる部分の中でも、大変に引っ掛かるのが裁判での最終弁論のシーンでアティカスが言うセリフの一部。非常にモヤモヤして、自分の中で上手く整理できない。やや長いがそのセリフを引用してみる。

「私は被害者に対して心から同情せざるを得ない。彼女は貧困と無知の犠牲者だからだ。だが自らの罪を隠すため人の命を危うくするなら同情心だけで黙って見過ごすわけにはいかぬ。彼女の行動を動機付けた要因を私は罪と言った。彼女は犯罪を犯してはいない。世間にある戒律を破ったに過ぎないのだ。これを破った者は社会から疎まれ追い出される。彼女にはその証拠を消す必要があった。その証拠とは何であるか・・・トムと言う人間である。彼女にはトムを消し去る必要があった。トムが生きている限り過去を思い出してしまう。過去とは何か?  白人であるのに黒人を誘惑した。この社会では口にもできぬ汚れた行為。黒人との接吻。しかも老人でなく強く若い黒人男性だ。気にも留めなかった戒律が彼女を苦しめ始めた。」  アティカス最終弁論より


まるで彼女に罪があるかのような口ぶり。そしてその罪とは、今まさに無実のトムを有罪にしようとしていることではなく、黒人を誘惑しキスしたことにあると言っているのだ。しかも「口にもできぬ汚れた行為だ」とまで言っている。すさまじいまでの言いぶり。

全然公平な人物じゃない。結局は他の連中と同じ、極めて人種差別的だ。表面は善人ぶって人格者ぶっているけれど、心底奥の方は結局は黒人を生理的に差別してる。

「そういう時代だったのだ。そういう時代の中にあっては、アティカスはかなりの人格者なのだから評価できる」という意見が出るだろうし、私だってそうも思う。これは徐々に黒人差別がなくなっていく「段階」「過程」なのだと。

でもやはりアティカスは黒人を人間としては見ていないと思う。生物学的に同じ人類だから公平に扱うべきだと言っているだけ。でもそういう「制度としての公平」は結局理屈だけでしかなくて、本当の意味での公平さではない。

私はアティカスが自分を「消極的差別主義者である」と認めているんならモヤモヤしないんだと思う。積極的に有色人種を差別したり攻撃したりはしないけど、自分の中に人種差別的感情があることを自覚して認めているのであれば、まあいい。誰にだってそういうことはある。でもアティカスは自分が差別主義的であると自覚していないんじゃないか、自覚しているようには描かれていないんじゃないかと思う。それなのにこの作品が「反差別主義の名作」みたいに扱われて、アティカスが一種の理想のアメリカ人みたいに扱われていることが、なにやらモヤモヤして納得できないのだった。

というわけで、私はこの作品からは人種差別の根深さを感じてしまったのだった。「良かったです!感動しました!」なんて、言えない。

・・・ちなみに後半の「黒人との接吻。しかも老人でなく強く若い黒人男性だ」の意味は私にはさっぱり分からない。老人の方はいいの? さっぱり分からん。

f:id:msan1971:20190903230308j:plain


すいぶん真面目に頭を使ってしまったが、ここで推理小説的な犯人探しをひとつ(本作は推理物ではないので、娘を殴ったのが誰なのかは明らかにされない)。

結局娘に暴行したのは父親のユーエルさんだよね。左利きだったし、どっちかっていうとトムのほうが彼女に襲われていて、そこをユーエルさんに発見されて怖くなって脱兎のごとく逃げた、その時ユーエルさんが「 ”彼女に向かって” 殺してやる!」と叫んでいたとトムが証言していて、ユーエルさんが犯人だと暗に明らかにされているよね。

そう考えれば辻褄も合う。娘が黒人男性を誘惑してキスを迫っているところを見てしまったユーエルさんは、思わず娘を殴ってしまった。日頃飲んだくれてばかりいるアル中だし、この時も酔っていたんだろうし。で、やばいと思ったユーエルさんと、自分がトムを誘惑したことが明るみに出ることを望まない娘は利害が一致。口裏を合わせてトムがやったことにする、というわけ。それを裁判中にアティカスが、「犯人はお前だ!」とはっきりは言わないが、暗に匂わせたことから、アティカスに対して逆恨みともとれる憎悪を抱き、アティカスが大事にしている子供たちを襲った、と。そこをブーに返り討ちに合ってしまった。


ところでそのブーだけど、今でいうところの自閉症系のひきこもりだよね。そしてショタっぽいところもあって結構ヤバいんじゃないの。あの木の幹におもちゃを入れていたのはブーだろうし、ブーがおもちゃをあげたい相手は女の子のスカウトではなく、どっちかというと男の子のジェムの方なんじゃないかと思うんだけど。

最後二人が襲われた時、二人を救ったブーは、いかに怪我をしていたとはいえジェムを抱えて一目散に駆けていき、スカウトの事なんて一瞥もしない。

ラスト、ブーは実はいい人みたいな、心温まるいいエピソード、いい思い出、みたいな終わりかたしてたけどホントかな。それで大丈夫?

考えすぎかなあ。

というわけで、現代にも通ずる「人間の闇」をいくつも感じさせて、この映画は終わるのでした。おしまい。

f:id:msan1971:20190903230331j:plain





【関連映画 】グレゴリー・ペック
グレゴリー・ペックが超絶に美しいのがこちら。映画デビューして4作品目、28~29歳くらいのペックが拝めます。これ以上に若いペックを見るのは難しいかも。 

www.mlog1971.com