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古い映画感想ブログです。驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「フリークス(1932)」この映画が問題作であることが問題


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題名 フリークス
監督 トッド・ブラウニング
脚本 ウィリス・ゴールドペック
出演 ハリー・アールス、デイジー・アールス、オルガ・バクラノヴァ、ヘンリー・ヴィクター、リーラ・ハイアムス、ウォーレス・フォード、デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン姉妹
上映時間 64分
制作年 1932年
制作会社 MGM
制作国 アメリカ
ジャンル ドラマ、社会派、モノクロ

「このような物語が2度と映画化されることはないだろう。自らの運命を変えられぬ人々への不公正に対して、人間的な優しさを忘れずに、健常でない人々、心ならずも運命に翻弄された人々の、驚くべき不条理な物語をここに綴る」 映画「フリークス」冒頭より

 

この冒頭の説明にある通り、おそらく二度と映画化されることはないだろう。実際に映画が公開された時はショックで流産した人がいたと言われるほどの騒ぎになり、監督は干され、イギリスでは30年間も上映禁止作品となった。

私は20代の頃に映画館でリバイバル上映されたのを見に行っているのだが、私は耐性が強いのか「すごく面白い!」と思ってそれほど衝撃を受けなかった。その後「もう一度見たい、あれ、あの映画」と思いながらも叶わず、その後DVD化されたのを知って購入した。

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***** あらすじ ******
あるサーカスの一団に所属する男ハンスにはフリーダという婚約者がいるが、サーカスの花形であるクレオパトラにすっかり熱を上げていた。クレオパトラがハンスを一人前の男として見ていないことに気付いているフリーダは、もてあそばれているとも知らずに彼女に夢中なハンスのことを悲しいまなざしで見つめていた。

クレオパトラは今まで間抜けだと思っていたハンスが近々莫大な遺産を相続すると知ると、愛人のヘラクレスと結託してハンスと結婚し、毒殺する計画を練る。そうとは知らず、クレオパトラの求婚に舞い上がったハンスはフリーダを顧みることなく結婚式をあげてしまう。その結婚式の最中クレオパトラはハンスの酒に微量の毒を盛るのだが、酒に酔い計画の成功を確信したクレオパトラは調子に乗り、ハンスやハンスの仲間たちをあざけりののしってしまう。ハンスはクレオパトラの本心と自らの愚かさに気が付く。

毒がまわったハンスは寝込んでしまう。まだハンスをいいように騙せると信じるクレオパトラは医者からもらった薬に毒をまぜてハンスに与え続けるが、ハンスは騙されたふりをして口に含み、見えないように吐き出していた。クレオパトラに侮辱され、ハンス殺害計画をも知った仲間たちはクレオパトラへの復讐を計画し実行する。

時が経ち、遺産を相続して資産家となったハンスはひとり孤独に生活していた。そこへかつての仲間フロゾとヴィーナスがフリーダを連れて訪ねてくる。最初からすべてを知ったうえで今でもハンスを愛するフリーダは、ハンスを許し、二人は結ばれる。
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この、割とありそうな、身分違いのあるいは釣り合いの取れない相手に恋をして周囲に笑われるという男女間の愛憎劇と、虐げられた者たちの復讐劇にすぎない映画が、なぜそれほどまでの大問題になったのか。

それは(上のあらすじ内で言えば)クレオパトラとヘラクレス以外の登場人物が全員、奇形者や身体障害者ばかりだから。

主役のハンスとフリーダは小人症、シャム双生児の姉妹(双子の腰の部分が繋がっている)、多毛症の女性(立派な髭がある)、アンドロギュヌス(両性具有者)、ゼッケル症候群の女性(鳥女)、小頭症の姉妹、両腕のない女性、下半身欠損症の男性、下半身だけでなく両腕もない手足欠損の黒人男性など、数人の健常者を除いてほぼ全員がなんらかの障害を、それもかなり重度の障害を抱えた奇形者たちなのだ。


題名のフリーク(Freak)は、今ではすっかりオタクやマニアという言葉に置き換えられた感はあるが、かつての日本では何かに熱狂的に夢中になっている人を差して「○○フリーク」といった使い方をしていた。そしてこの「○○」に入る言葉によっては、やや変人、変わった人というニュアンスが伴うこともある。「音楽フリーク」とかだとそれほど変人には聞こえないが。

しかし本来は、普通とは違う形のもの、奇形、変種といった意味の言葉だ。

このような奇形者たちは健常者たちよりもはるかに生きる事が難しいであろうことは想像に難くない。実際20世紀前半くらいまでは見世物小屋やサーカスなどで自分の姿を見世物にして生計を立てているものも多かった。

しかし20世紀も半ばになると人権意識が高まり、見世物小屋やサーカスで奇形者や障害者が見世物にされることへの是非が問われ、見世物小屋自体が「いかがわしいもの」「悪場所」として衰退していく。

その後、奇形者や障害者はどこへいったのだろう。

 

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80年代のことだと思うが、アメリカの小人症の女性がインタビューを受けているTV番組を見たことがある。彼女はすでに老婆で、若い頃はサーカスに出演して生計をたてていたが、世の中の人権意識の高まりで職を追われて活躍の場がなくなったことを訴えていた。障害者年金や生活保護のような公的援助を受けて生活するよりも、昔のようにサーカスで自活していた方が良かった、というのだ。

それを見た10代の私は思ったのだが、嫌がる障害者を(鞭で叩いたりして)無理やりさらって見世物にするのは全く論外だが、自分の意志でサーカスに職を求めるのはなんの問題もないだろう。ショービジネスに向く人と向かない人がいるのは、障害者だろうと健常者だろうと、なんの違いもない。華やかな世界が好きな人は、奇形者にだっているだろう。

実際インタビューを受けていた小人症の彼女は、確か「子供が好きで、サーカスで子供たちを喜ばせるのが好きだった」と話していたように記憶している。それなのに、親切な健常者の「見世物にするなんてひどい!」という”善意”のせいで生きがいを奪われてしまったのだった。

 

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差別問題と言えば他にもたくさんあるわけだが、80年代は「女性差別の撤廃」に世の中が夢中の時代で、田嶋陽子あたりが頻繁にTVに出て「男女差別だ!」といったことを訴えている時代だった。そして90年代に入る頃には女性は十分強くなっていたと思う。まだまだ問題は多々あれど、女性がやたらと元気だったことは確かだ。

私は「完全な平等」などないと思っているので、世の中の女性解放運動系のヒステリックな女性たちをTVなどで見て「もう十分じゃない?」と思っていた。そして「奴隷を解放し、黒人を解放し、女性を解放し、次のターゲットはなんだろう」と思っていた。そしてそれはどうやら障害者差別らしかったのだった。


80年代後半から90年代にかけてはディベートの時代でもあって、「朝まで生テレビ」などのディベート番組が盛んに放送されていた。その中でいつだったか忘れたが90年代の最初の頃だと思うのだが、小人レスラーが「自分はプロレスが大好きで、だから小人レスラーになった。それを奪わないでくれ」と訴えていた。彼らはメインのプロレスの前座として小人同士のプロレス・ショーを行っているのだが、やはり親切な健常者が「見世物にするなんてひどい!」と言ってきて、職を、夢を追われそうだと言うのだ。


また同じ頃、「CANDOCO(キャンドゥコ)」という海外のパフォーマンス集団が日本でワーク・ショップを開き、パフォーマーを募っているという内容のドキュメンタリー番組を見た。

CANDOCOのパフォーマンスの特徴は障害者たちを積極的に起用していることで、この頃のCANDOCOの一番のスターは下半身欠損の男性パフォーマーだった。他にも、片脚がないとか、腕がないとか、車いすだったり松葉杖だったり、見た目は五体満足な健常者に見えるが知的障害者だったり自閉症だったりする。そして障害者が福祉に頼って生計を立てるのではなく、完全な経済的自立を目指すという高い志を語っていた。

その彼らのパフォーマンスは同情を誘うようなウェットなものではなくかなり突き放した感じの、知的でクールでスタイリッシュなのものになっていてとても格好いいのだった。

 

他にも障害者スポーツにおける競技用義足や競技用車いすの進化なども90年代には目覚ましいものがあって、彼らが走る姿がどんどん美しくなっていくのをTVでなんとなく眺めていたりもした私は、20代の半ばくらいには、

「五体満足に生まれた方がいいいのは十分承知だが、たとえ足がなくても知能が普通であれば、障害者カテゴリに入らないくらいの世の中になるといいな。だって足が無ければサッカー選手にはなれないかもしれないが、両足があったって私はサッカー選手にはなれない。両手がなければピアニストにはなれないが、両手があったって私はピアニストにはなれない。するとサッカー選手やピアニスト側から見れば、両手両足があってもなくても”なれない”点では大した変わりはない。五体満足の私達は一般的になんにでもなれる可能性があることになってはいるが、現実は大して可能性はないし、あったとしても微々たるものだ。誰だってなりたいものになれる訳じゃないし、やりたいことが出来る訳じゃない。限られた出来るものの中から選んで生きていくだけのことだ。それは健常者だって障害者だって、同じことだ。」

そんなことをごにょごにょ考えていた90年代の半ばくらいにこの映画「フリークス」をリバイバル上映で観た私は、「なんだ普通の映画じゃないか」と思って、別段ショックを受けたりはしなかったのだった。

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実際この映画の監督は、かなりフラットな目線で演出していて、障害者とか奇形者だから特別気を使って撮影しているわけではない。一般的なドラマ脚本を用意して、それを奇形の人たちでキャスティングしているだけだと思う。そして淡々とカメラを向けているように思った。そして出演している奇形者たちにとても温かい愛情を注いでいることが伝わってくる。

特に前半の森の中のシーンは「とても美しい」と思った。サーカスの女性(健常者)は、何人もいる奇形者たち(なかには知的障害らしき人もいる)を「子供たち」と呼んで愛しており、森で太陽を浴びて遊ばせていたのだが、森の木漏れ日の中で遊ぶ彼らはまるで妖精のようだと、私は思った。中世など昔の人たちの中には、こういう人里離れて森に隠れ住む奇形者たちの姿を見て「妖精を見た」と思う人もいたのではないかなと思った(妖怪とか怪物伝説にもなってしまったかもしれないが)。


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それに「奇形者たちを大勢起用した問題作」と聞くと「重たい作品なのでは」と思うかもしれないが、実はそうでもない。ユーモアたっぷりのエピソードもある。


シャム双生児の姉妹であるデイジーとヴァイオレットは、腰のところが繋がっている双子の姉妹なのだが、姉には吃音の婚約ロスコーがいて妹も祝福している。でも二人はくっついているから常に一緒で、ロスコーはどもりながら「お前はここにいるんだ」といつも言うのだが、妹は「私は行かなきゃ」と言って向こうへ行ってしまう。すると婚約者の姉の方も行ってしまうのだった(当たり前)。するとロスコーは「お前たちは都合が悪くなるとすぐにそれだ!」みたいに怒っている。

後半には妹の方にも求婚者があらわれて、これがなかなかいい男っぽいのだが、今後4人で一体どう暮らしていくんだろう。この求婚しているシーンで男が妹にキスをすると姉の方もうっとりした表情をしているところが面白い。「え、なに、倍気持ちいいの」って思っちゃった。


健常者側にももちろんいい人たちは出てくる。前述の “子供たち” を森で遊ばせていた女性もそうだが、ピエロ(クラウン)のフロゾが温かくていい男だった。フロゾはずっとヴィーナスのことが好きなのだが、彼女に想いを伝えることなくジッと待っていた控えめな男で、かといってストーカーまがいの痛いヤツという訳ではない。実はピエロのメイクを落とせば結構ハンサムだし、知的だし、頼りがいのある男なのだ。でも若いヴィーナスはマッチョな強い男ヘラクレスに夢中で、ピエロ姿の男など眼中になかったのだ。でもハンスとクレオパトラの一件をきっかけにヴィーナスはフロゾの魅力に気が付いて、二人は晴れてカップルになる。

よかったねフロゾ、ヴィーナスも気づいてよかった、みたいな気持ちになった。


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というわけで、とても良い映画だと思うのだが、冒頭にもあげたように上映禁止になるほどの衝撃を観客に与えてしまった(時代だけのせいではないと思う)。


この映画の主題のひとつに「怪物なのは誰か」があると思う。そして映画の中で怪物扱いされている奇形者が怪物なのではなく、彼らを怪物扱いして人として見ない健常者こそが怪物なのだ、という描かれ方をしていると思う。

実際クレオパトラとヘラクレスの横暴さ、粗雑さ、鈍感さは目に余るほどで、人を人として見ない、それも心底相手を人間だと思っていないと人はここまで残酷になれるのかと目を覆いたくなる。

しかし、この映画を観て衝撃を受けた人々や、上映禁止を叫んだ人、上映禁止にした人達は、おそらく「怪物は健常者である私たちだったのか!」と気付いて衝撃を受けたわけではなく、ただただ奇形者たちが映画に出ているというヴィジュアル面に反応した、いたって感情的な、ヒステリックな反応だったのだろうと思うとますます気が重くなる。

人間は見た目じゃないと言いながら、結局は見た目がすべてだった。なんだかがっかりだ。


現在はどうか。もちろんこうまであからさまに暴力的なことはないが、静かに、消極的に、穏便な形で似たようなことが行われていないだろうか。


ちなみに私の職場では、車椅子や杖をつく程度ではあるが下肢が不自由な人たちが「障害者雇用枠」でわずかながら就職してくるのだが、私は彼らの運用方法に大変不満がある。彼らはただ車椅子なだけで他はなんら健常者に劣るものではない。にも拘わらず、うちの職場は、彼らに「朝から晩までスキャンだけ」「朝から晩までデータ入力のみ」といった単純作業しか用意せず、それも延々と続くからキャリアプランなど立てようもない扱いである。そして彼らはしばらくすると辞めていく。

そりゃ辞めるわ。一人前の人として扱っていないんだもの。ちくしょー。私にもっと力があればなあ。

これは自分が健常者だから関係ないという話ではなく、誰にでも起こることなんだがなあ。いつ事故に合うか分からないし、健常者のまま干されるということだって、あるんだがなあ。自尊心って、誰にでもあるんだぞ!(私にだって!)。


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・・・と色々長々と書いてきたが、実はこの映画、今私たちが見ることができるバージョンはこれでかなり穏当な結末に替えた物らしい。

映画のラスト、ハンスの仲間たちがクレオパトラやヘラクレスを襲うのだが、実はこのあとまだまだ続き、しかも相当残酷な描写で、その結果があの見世物小屋のあの姿になるらしい。

それがあまりにもおぞましかったため上映禁止になり、さらには別バージョンの制作へとなったんだとか・・・


残念ながらそのオリジナル・バージョンは失われていて現在は見ることができないらしい。

はたしてそのオリジナルを見ることが出来たとしても、私はこの記事と同じ感想を持つことができるだろうか(できると思うけど)。


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****** 主な登場人物 ******
ハンス(小人症):ハリー・アールス
フリーダ(小人症):デイジー・アールス
クレオパトラ:オルガ・バクラノヴァ
ヘラクレス:ヘンリー・ヴィクター
フロゾ:ウォーレス・フォード
ヴィーナス:リーラ・ハイアムス

ロスコー(吃音症):ロスコー・エイツ
シャム双生児:デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン
ロロ兄弟:エドワード・ブロフィー
ロロ兄弟:マット・マクヒュー
骨人間(るいそう):ピーター・ロビンソン
ひげの濃い女性:オルガ・ロデリック
半陰陽者:ジョセフィーヌ・ジョセフ
クー・クー(ゼッケル症候群):クー・クー
ジップ(小頭症):エルヴァイラ・スノー
ピップ(小頭症):ジェニー・リー・スノー
シュリッツ(小頭症):シュリッツ
ハーフボーイ(下半身欠損):ジョニー・エック
腕の無い女性:フランシス・オコナー
生けるトルソー(手足欠損):プリンス・ランディアン
アンジェロ(小人症):アンジェロ・ロシェット
鳥女:エリザベス・グリーン
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