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古い映画感想ブログです。驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「ショウ・ボート(1951)」 エヴァ・ガードナーが助演で力演

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題名 ショウ・ボート
監督 ジョージ・シドニー
制作 アーサー・フリード
出演 キャスリン・グレイソン、エヴァ・ガードナー、ハワード・キール、ジョー・E・ブラウン
音楽 ジェローム・カーン(原曲)、アドルフ・ドイチュ(音楽監督)
上映時間 108分
制作年 1951年
制作会社 MGM
制作国 アメリカ
ジャンル ミュージカル、南部


アーサー・フリード制作のミュージカル。

ミュージカル作品としては画期的に、黒人差別をさらっと扱っているところが特徴(解決は全くしないし、そのまま放置だけど)。黒人の血が一滴でも混じっていたらそれは黒人であり、白人との結婚も出来ないという、そういう時代。

映画冒頭、極彩色で華やかな衣装や歌や踊り、ミシシッピー川の壮大な流れ、そこを行く蒸気船、集まる人々など、前半の極めて華やかな映像とは打って変わって、かなり辛気臭い、重めのミュージカルだった。

人生の悲哀や、どん詰まりみたいな感じで、私が好きないつもの「娯楽・超お気楽ミュージカル」ではなく「真面目な文芸ミュージカル」みたいな感じ。なんか・・・明るい気持ちに全然なれなかった。

 

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楽しそうに始まるのになあ


****** あらすじ ******

アメリカ南部を流れるミシシッピー河をゆくショウ・ボート「コットン・フラワー号」は、俳優やダンサーを大勢乗せて町から町へと渡り歩く巡業船。ホークス船長の娘マグノリアは恋を夢見る純真な女の子。自分も舞台に立てたらと夢見ているが、生真面目で厳格な母親はそれを許さない。

一方、町でカードをしていたギャンブラーのゲイロードはそろそろ次の町へ向かおうと、ニューオーリンズへ向かうコットン・フラワー号へ乗船したいと交渉する。そこでマグノリアとゲイロードは出会い、お互い一目で恋に落ちる。が、遊び人がマグノリアに接近することを好まない母親はゲイロードの乗船を許さない。

ところが船所属の女優ジュリーが黒人と白人の混血であることが発覚。一滴でも黒人の血が混じっていたらそれは黒人であり、白人男性と結婚することは法律で禁じられていた時代。ジュリーとその夫スティーヴンは船を降りる。

主演男優を失った船長は、ハンサムなゲイロードを船に乗せることにする。さらに主演女優だったジュリーの代役としてマグノリアが舞台に立ち、ニューオーリンズに着くまでゲイロードと共演することになる。お互い惹かれ会う二人は急速に仲を深めていき、結婚を決めて下船する。

シカゴへ向かった二人は贅沢なホテル暮らしを開始。最初は順調に思えたものの、程なくしてゲイロードはツキに見放されホテルの代金も支払えなくなってしまう。ホテルを出た二人は家具付きの質素なアパートに移る。二人は貴金属などを質に入れてギャンブルの資金を調達するが、ゲイロードのツキは戻らない。毛皮を質に入れようとしたマグノリアは、ゲイロードの幸運のステッキが質草として飾られているのに気が付き、それを買い戻す。帰宅するとゲイロードは、マグノリアがコットン・フラワー号に戻れるだけの金を置いて失踪していた。

マグノリアは昔馴染みのシュルツ夫妻と再会。彼らの紹介でショーの歌手のオーディションを受ける。そのショーには、かつて黒人として船を追われたジュリーが歌手として在籍していた。旦那であるスティーヴンと別れ、アルコール中毒になり酒が手放せないほど荒んでいたジュリーはオーディションで歌うマグノリアの姿を見て、彼女に自分のポストを明け渡すために姿を消す。

そうとは知らないマグノリアは舞台に立ち歌を歌う。最初は自信が持てず客の叱責を受けるが、自分に会いに来た父を客席に発見。笑顔で歌うよう励まされ、最終的には大喝采となる。マグノリアはゲイロードの子を身ごもっていることを明かし、船に帰りたいと告げる。帰郷したマグノリアは懐かしのコットン・フラワー号で娘を出産する。

一方ゲイロードはツキに見放されたままだった。ある日バーで、落ちぶれたジュリーと再会。ジュリーは彼をゲイロードと気が付くが、ゲイロードはジュリーのことが分からない。ジュリーからコットン・フラワー号の新聞記事を見せられたゲイロードは、自分に娘がいることを初めて知る。ゲイロードはマグノリアと娘に会うためコットン・フラワー号を訪れて、二人は再会する。
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前半はミシシッピー川をゆく巡業船コットン・フラワー号が舞台で、そこに暮らすジプシーみたいなダンサーや俳優たち、そこに合流するギャンブラーといった、いわゆる浮き草稼業の面々が大勢出てきて「何かが起きそう、わくわく」という雰囲気なのだが、それでもなにかこう、辛気臭い。

これがマグノリアとゲイロードが船を降り、結婚してシカゴに舞台が変わるあたりから本格的に辛気臭くなっていく。暮らしが辛気臭くなっていくから、映像も暗く貧しくなっていって辛気臭い。

でも何が一番辛気臭いって、ヒロインのキャスリン・グレイソンがひどく辛気臭いのだった。このキャスリン・グレイソンが辛気臭いから、映画全体が辛気臭くなっていると思う。キャストミスとしか言いようがない。

おちょぼ口・・・なのは関係ないが、とにかく常に眉毛を八の字にして困った顔をしているのがいただけない。陰気臭い。おどおど、もじもじ、下から上を見上げる媚びた表情、そして困り顔。・・・ああ辛気臭い。

映画ではジュリーがマグノリアのことを「天真爛漫な子なのよ」とかなんとか言っていたが、とても信じられない! ぜんぜん天真爛漫じゃあないよ。真逆。

やはりキャストミスだったのではなかろうか。これがジュディ・ガーランドみたいな「スカッ!」「カラッ!」としたキャラの子だったら、この重めのテーマであっても気持ちのいい映画になったのではないかと思われる。

このキャスリン・グレイソンというお方、ソプラノ歌手らしく多数のミュージカルに出ていて、この時代はそれなりのスターだったらしいが、少なくともこの映画では完全に助演のエヴァ・ガードナーに食われていたと思う。

だって、映画のラストシーンはエヴァ・ガードナーの「どアップ」でしたからね。ここはゲイロードとマグノリア、娘のアップで幸せになる予感!的に三人のアップで良かった場面。

「スター交代の象徴的な場面だな」と思った。監督も撮影していて、エヴァ・ガードナーの方が来るなと思ったんでしょうね。

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そのエヴァ・ガードナーを良く知らないので調べてみたら、主演のキャスリン・グレイソンと同じ1922年生まれで、この映画公開時は29歳。大人。

すでにスターだったグレイソンとは違い、ガードナーはこの作品で一躍スターダムに躍り出たらしい。やはり入れ替わったな。

この作品の後、『キリマンジャロの雪(1952)』ではグレゴリー・ペックと、『モガンボ(1952)』ではクラーク・ゲーブル&グレース・ケリーと、『裸足の伯爵夫人(1954)』ではハンフリー・ボガートと共演ということで、その錚々たる面子からも、ガードナーの勢いというものが感じられる。「ガードナー、乗ったな」っていう感じ。しかもこの頃はフランク・シナトラと結婚期にあるという華やかさ。すごいなあ。

キャスリン・グレイソンには申し訳ないけど(本当は全然申し訳なくないけど)、この作品を見ればまったく格が違うという印象だった。

個人的にはガードナーも特に好きなタイプではないのだけれど、でも印象に残るいい演技してたし、存在感があった。酒に溺れる一連の芝居なんて、ほんとうに悲惨だったもの。落ちぶれ感が漂ってた。

まあアル中とか、黒人の血が入った白人役、みたいな役柄の「利」はあったかもしれないけど、それでもしっかりとした力演だったことは間違いないから、ラストで主役と入れ替わっての「どアップ」も当然の結果。引き寄せましたな。

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映画の方は、冒頭にも触れた「黒人の血が一滴でも入っていれば黒人理論」にのっとって、黒人とのハーフだったジュリーは白人と結婚していたことで罪に問われて船を降りる。

次にジュリーが出てきた時は白人の旦那と別れて飲んだくれていた。その離婚の理由はぜんぜん語られていないし、それ以上彼女の境遇にスポットが当たることもなかったから、黒人差別に関して深く追求しようという気は全くない映画だったよう。「そういう時代」で、出来事がぽんぽんと並べられるだけだった。

ジュリー、捨てられちゃったのかしら。

もちろん別に深く描かなければならないわけでもないので、そういう趣旨の映画ではないのであれば、これはこれでOK。「ああ、そういうもんだったんだな」ということが知れたことだけでも描く価値はあると思う。

つくづく主演がキャスリン・グレイソンでなければなあ・・・と思わずにはいられない、個人的残念映画だったのでした。まる。


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