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古い映画感想ブログです。驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「M(1951)」 1931年フリッツ・ラング監督作のリメイク

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題名 M
監督 ジョセフ・ロージー
制作 シーモア・ネザンベル
出演 デヴィッド・ウェイン、ハワード・ダ・シルヴァ、マーティン・ガベル
上映時間 88分
制作年 1951年
制作国 アメリカ
ジャンル モノクロ、犯罪

 
「手がかりはなくなった靴だけ。何を探せばいい? 精神を病んだ者だ。・・・大勢いる」 刑事の台詞

映画「M」を見ようという人で、こちらのアメリカ・リメイク版を先に手にしてしまう人はいないと思うのだが、もしそうならこれを見た後で、ぜひオリジナルの方も見て欲しい。オリジナルはドイツ映画の有名作で傑作です。見た方がいいレベルです。

逆にこちらはオリジナルを見ている人は見なくてもいいけど、お金に余裕があったり、やっぱり興味があるという人は見てみたらいいんじゃないかな、という感じの映画。


当ブログでも過去に取り上げた、フリッツ・ラング監督、ピーター・ローレ主演の1931年公開のドイツ映画「M」のリメイク作品。オリジナルの方に興味のある方はこちら

【映画】「M(1931)」 ~頭おかしいと無罪ですか。法の矛盾を問いただす~ - エムログ

もしくは一番下にリンクを貼っておくので参照されたい。


しかし↑の記事を書いていた時は、まさかアメリカでリメイクされていたとは全く知らなかったのだが、古DVDショップで偶然発見したので手に入れてみた。

白黒なのは同じ、フィルム・ノワールっぽい雰囲気も同じ。ストーリーも同じ。違うのは「今作はBGMがあること」「犯人が映画の最初から出ずっぱりだったこと」「テーマが分かりづらくなっていたこと」かな。


そして犯人の名前がハロウなんだかホロウなんだかよく分からなかった(最初はハロウと字幕されていたのに、後半になるとホロウとなっていたと思う)。「発音の問題」ということにして、ここではハロウということにして話をすすめます。ご理解ください。 (*´з`)

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****** あらすじ ******
幼女連続殺人がL.A.の人々を脅かす中、一人の男がある少女に忍び寄る。女の子はエルシー。男はひとりで学校から帰宅するエルシーに忍び寄り、怪しまれることなく一緒に町をぶらつく。男はエルシーに目の見えない風船売りからピエロの風船を買ってやり、口笛を吹きながら去っていく。母親は家で昼ごはんの準備をしているが、昼が過ぎてもエルシーは学校から戻らない。

人々は疑心暗鬼になり、子供に親切にすることすらできない雰囲気になっていく。警察は市長の叱責を軽く聞き流しながらも懸命に捜査を継続していたが手掛かりは掴めない。そんな中、暗黒街のボスが動き出す。警察の捜査が厳しくなり商売がしにくくなったことから、組織の下っ端たちを動員し、不良や浮浪者たちまで駆り出して、幼女と一緒にいる犯人を捜す人海戦術に出る。名付けて「作戦 ”M”」。”M”はMurder(殺し)のMだ。

警察は精神疾患の既往がある者を片っ端から調べ上げ、その過程で犯人のアパートにも足を踏み入れる。そして照明に結わえ付けられていた靴紐の長さが大人の靴紐より短かったことから足がつき、アパート内からはいくつもの子供の靴が何足も発見され、警察はそのアパートの住人ハロウを犯人と断定する。

その頃ハロウは次の犠牲者である少女の為に、今度も目の見えない風船売りから風船を買い与えていた。ところがハロウが吹いていた笛の音を聞いた風船売りがエルシー殺しの時にも同じ旋律を聞いたことを思い出す。街のチンピラ達が一斉にハロウを追いつめ、確保されたハロウは彼らの手による疑似裁判をうけさせられることになる。
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残念ながら私には初見ではすごく難しく感じて、何を言いたい映画なのかが分からなかった。たぶんオリジナルを見ているから先入観があったんだと思う。できるだけオリジナルのことは忘れて見るように気を付けてるんだけど・・・だめだった。そこで整理しながらもう一回見てみた。


オリジナルは「精神障害が認定されたら無罪放免というのはおかしいのでは」というテーマで、しかもブレずに一貫して「それ」が語られていたと記憶している。今でも問題になることの多い、今に通じるテーマだということもあって、難しいと感じることはなかった。

「頭がおかしくて少女を殺さずにはいられない俺は、自分でもこの欲求を押さえられなくってすごく苦しんでる。でも(正当な裁判を受けられれば)頭おかしいから無罪だよね(だからリンチじゃなくて正当な裁判を受けさせてね)」的な犯人と、「法にゆだねたら無罪になってしまう!法が裁かないのであれば俺たちが裁く!」と言ってリンチにかけようとするチンピラ達、思いのほか冷静かつ公平な暗黒街のボス、という三者が対峙する構図で、分かりやすかったと思う。


でも今作はどうやらそういう感じではない。犯人が「精神に異常があるサイコ野郎」という設定なのはオリジナルと同じで変わらない。警察もそういう路線で捜査していた。だけど後半の暗黒街のアウトローたちによるリンチの場面になると、なんか・・・テーマを見失ってしまった。

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とりあえず犯人が同情できない。「自分でもどうしようもないんだよおおおお」と叫ぶのはオリジナルと同じだが、ピーター・ローレのその特異な風貌と演技力からくる狂気と迫力、ビリビリと空気を切り裂くようなフリッツ・ラングの演出でかなり圧倒されたが、今回はちょっと情けないだけで間抜け感があった。

どうやら犯人はすでに死んだ母親の影響下から抜け出せずにいるらしく、アパートの自室に母親の写真を飾って、その前で粘土で作った女の子の首を紐で絞めて首を切り落としたりしている。

「母親は美しくて善良な人だった」と言っていたが、その写真は美しいか否かを問題にする以前に、オッサンなのかオバサンなのかよく分からない人が映っているだけだった。

そしてそのオッサンなのかオバサンなのかよくわからない母親に「男というのは生まれつき邪悪で残酷だ。人間が邪悪なのではなく、男だけが邪悪な存在なのだ」と言われて育ったらしく、それが長じて、「小鳥や子供達を生かしていても、彼らが生きる世界は邪悪な男たちの世界であること」に気が付き、「そんなところに解き放ってはいけない」と、小鳥や子供達を殺すようになったと告白する。

・・・その理屈でいくのなら、男を殺せばいいのでは。

それで急に「自分でもどうしようもないんだよおおお」とか言われても、だいぶ同情はできなかった。

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とはいえオリジナルも犯人に同情するような作品ではなかったし、そもそも誰かに感情移入して観るタイプの映画ではなく、第三者としてそれぞれの立場を均等に眺めながら、映画のテーマについて考えを巡らせるタイプの映画だったから、犯人に同情できなくてもそれは全然かまわない。


じゃあ何で私はこの映画のテーマを見失ってしまったのかと考えると、たぶん「ボスのキャラの複雑化」なんじゃないかなあと思った。

オリジナルのボスは、「幼女連続殺人のせいで警察がやたらとウロチョロして商売がやりにくくなった。これでは商売あがったりだ。でも警察はいつまでもホシを上げられない。だったら自分達で捕まえて早く終わらせよう」という、アウトロー的にはいたって真っ当な、すっきりした動機だった。

でもリンチをするのではなく弁明の機会を与えようと、弁護士をつけて模擬裁判にしてみせるインテリなところもあって、こちらのボスはかなりカッコいい人物だった。


でも今作のボスは、基本は同じなんだけど、世間やマスコミの注目が自分に集まる中、幼女殺しの犯人を捕まえてヒーローになり、自分の悪行から世間の目をそらそうと考えている。

だからハロウを確保するや否やマスコミに連絡し、「独占記事を書かせてやるから、今後俺の悪行が明るみになったときは幼女殺しの犯人を捕まえた男であることを改めて記事にして強調し、俺を擁護しろよ」と持ちかけている。

だからハロウがリンチになって殺されちゃったりしたら取材できないから、それでなんとか下っ端たちの感情を抑えてリンチを回避したいと思っている。

結構リアリストな感じ。さすが人の上に立つ人は違う。目先の感情でいきり立つ下々の者とは違い、先の先まで考えた行動。

オリジナルのボスはもう少し理想論者っぽかった。

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そこに絡んでくるのが弁護士で、チンピラ達がハロウをリンチするのを望まないボスに脅され、「証拠がないと人は裁けない」と全員を説得しようとする。

だけどこれがかなりのアル中で、結構頑張るんだけど、終盤「彼は善人だ」と言い出したり、ハロウを盲人に例えたり、「俺たちだって、みんなだって悪いことしてるだろう」と言い出したり、かなり強引な論理展開に持って行って「それはそれ、これはこれ」的に聴衆を説得出来ず、結局はハロウのリンチを後押しする行動に出てしまってボスに射殺される。

その弁護士の発言を聞いていると、彼は彼なりに悩みを抱えていて、子供の頃は正義の味方に憧れて弁護士になったのに、自分がこんな風になってしまったのはボス、あんたのせいだ、と言っているようにも聞こえる。

なにかあったんだな、というのは分かるんだけどね・・・。

分かるんだけど、そういう、映画では全く触れられてこなかった犯人や弁護士のバックボーンが、当人たちの口から語られて、それがいたって主観的な発言だから私みたいな他人からすると「事情も分からないのに急に心情を吐露されても、こっちは何にも聞かされていないから分かるように説明してくんないと分かんないよ」という気分になる。

おまけに「つらいよー、生きるのってしんどいよー、思ったようにいかなかったよー」って、二人並んで騒がれるもんだから・・・ついていけなかった。


というわけで、オリジナルよりもキャラクター設定が複雑で、最後の最後でぐちゃぐちゃと訳が分からなくなって・・・私の脳みそではこんぐらかって良く分からなくなってしまった。

翻訳のせいもあるのかなあ、ちょっとわかりにくいんだよなあ。

「子供の教育って大事だよね」にしたいんならそれ一択にする、オリジナルみたいに「頭がおかしい人物の裁きかた」をテーマにしたいんならそうする、「いや、問題の根幹にはもっと別の巨悪が潜んでいるのだ」にしたいんならそこを注視する、といった具合に、一択にしてくれればいいんだけど・・・ぐちゃぐちゃしてた(ように私には思えた)。

オリジナルの出来が良すぎたんだなー。この映画も悪い出来じゃあないけど、オリジナルを凌駕するポイントは一点もなかったんじゃないかな。

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話は変わって、DVDの裏にある解説に書いてあったロケ地について。

犯人が逃げ込むくだりで映画中盤からずーーっと使用されているビルは、「ブラッドベリー・ビル」というL.A.にあるデパートで、『ブレード・ランナー(1982)』で使用されているらしく、観光地としても名高いらしい。

他にも数々の映画やTVドラマ、小説などでも使用されているらしい。ちょっと調べたところだと、ドラマ『ペリー・メイスン』とかドラマ『ミッション・インポッシブル』などでも使われているんだとか。

でも今作『M』が一番長い時間使用されているのかも。とにかく後半はこの「ブラッドベリー・ビル」が舞台なのでね。

映画は白黒だからやや分かりづらいところもある。フリー画像があったのでそれも併せて貼っておこう。たしかにこれは、ロケ地にしたくなる佇まい。映画好きなら観光に訪れてみるのもオツかも。

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ブラッドベリー・ビル

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映画ではこんな感じ

ー閑話休題ー

ところで、映画「M」といえば、犯人に付ける目印が印象的・・・なはずなんだけど、そこも今作はあまり効果的ではなかった。チンピラの一人がビリヤードのキューに使うチョークでしるしをつけるんだけど、オリジナルの時の「は!! うまい!」といった衝撃は皆無だった。

さりげなくなくて・・・書いたのかな?  ぐりぐり書いてるよね、あの字の感じだと。


それにオリジナルの「口笛」。その代わりに本作で犯人は「縦笛」を吹いていたけど、やっぱり効果的とは言い難かった。縦笛って・・・吹きながら歩きますかね。子どもじゃあるまいし。


悪い映画じゃあないんだけどな・・・比較してしまえば、オリジナルの圧勝! という感想。残念! 

今回はこれくらい。じゃねー。




⤵ 私が持っているDVDはどうしても見つけられなかった。おそらくこのコレクションの中に収録されている中の、バラ売りしたものを手に入れたのだと予想。
このVol.6 に収録されていました。




【関連記事】 オリジナルはこちら

www.mlog1971.com