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古い映画感想ブログです。驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「ローラーボール(1975)」 本とか音楽とかの完全データ化が不安になった作品

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題名 ローラーボール 
監督 ノーマン・ジュイソン
制作 ノーマン・ジュイソン
脚本 ウィリアム・ハリソン
原作 ウィリアム・ハリソン「ローラーボール」
出演 ジェームズ・カーン、ジョン・ハウスマン、モード・アダムス、
音楽 バッハ「トッカータとフーガニ短調」、レモ・ジャゾット「アルビノーニのアダージョ」、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」第3楽章
上映時間 125分
制作年 1975年
制作国 アメリカ 
ジャンル SF、近未来、ディストピア、バイオレンス
 

「今やっているゲームは明らかに社会奉仕が目的だ。今や世界各国は豊かで民族同士の戦いもなく、また企業戦争も過去のものになった」 社長の台詞


2002年にはリメイクもされている、カルト映画としては結構有名な作品。

この『ローラーボール』は、世界がいくつかの超巨大企業に支配されているところがミソ。これはのちの大ヒットシリーズ『ロボコップ』なんかにも受け継がれてる。

資本主義を突き詰めた未来はすでに国家が意味をなさなくなっていて、企業が世界を支配しているというわけ。

これは『ロボコップ』が流行っていた80年代後半とかだと、まだ「SFの感じ」があったけど、現在はどうでしょう。リアルになってきているなあ、とおもいませんか? GoogleさんとかAmazonとかFacebookとか、Appleとか・・・もう始まってる感じがある。しかも本作の設定は「西暦2018年」(リアル!)。

そういう、超巨大企業が世界中の人類を支配している、そういう世界の映画。

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****** あらすじ ******
西暦2018年。戦争はおろか、企業間の経済戦争すらなくなり、飢餓もなくなった平和な近未来。人々が暴力的本能を解消すべく熱中するのは ”ローラーボール” と呼ばれる企業スポーツだった。

エネルギー部門が率いる企業のヒューストン・チームに所属するジョナサンは、ローラーボールのスーパースター。今シーズンも大活躍で、チームメイトも社長も大衆も認めるスーパーヒーローだ。ところがジョナサンはゲームの直後、社長に呼び出され引退を勧められる。選手として脂がのっているジョナサンは腑に落ちず、理由を独自に調査しはじめる。しかし調査はまったく進まなかった。

ジョナサンの引退劇は着々と進められ、引退ゲームも引退コメントもすべて用意済みだった。なぜ自分を引退させたいのか分からないジョナサンは交換条件として、過去に重役に奪われた妻エラとの再会を申し出る。しかし反応は思わしくない。

ヒューストンの次の対戦相手は「東京」。強敵を相手にいきり立つチームだったが、ジョナサンは出場を止められる。しかし言いなりになる気のないジョナサンは、チームに同行して東京へ向かう。チーム東京は強豪だった。ラフ・プレーで多くの選手が倒れ、親友ムーンパイも意識不明の重体になる。

次の対戦はニューヨーク・チーム。しかも「ルール無用で時間制限なし」。そんななか、ジョナサンの自宅に元妻のエラが現れる。エラはすでに再婚し、息子がいた。二人は一晩を共に過ごし、同じ時間を共有するが、価値観の相違ははなはだしく、エラを重役の回し者だと察したジョナサンは彼女の思い出である映像を消去する。

ジョナサンは引退の謎を解くためにジュネーブにあるコンピューター・センターへ向かう。大スターであるジョナサンは大歓迎を受けるが、肝心のコンピューター ”ゼロ” は違っていた。”ゼロ”はジョナサンの「会社の方針の決め方が知りたい」との質問に「negative(拒否する)」の単語をひたすら繰り返すだけだった。

ニューヨーク戦が始まる。今までにないラフ・プレーの応酬に観客は盛り上がり、選手は次々と倒れていく。最後に残った相手チームの選手もジョナサンの手によって倒れ、とうとうトラックには自分だけとなった。理不尽な仕打ち、理不尽なゲーム、そして自分を冷徹に観察する重役たちにいきり立ったジョナサンは、ジョナサン・コールが轟く中、ひとりトラックを回り続ける。
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映像がいかにも70年代的なSF作品で、個人的には雰囲気は結構好き。『ソイレント・グリーン(1973)』もそうだけど、ストーリーとかテーマとは全く関係なく、映像の雰囲気がなにかこう、物悲しい。

輪郭がはっきりくっきりしていて、隅々までピントが合っているようなデジタル映像ばかりを見ている若い人に理解してもらえるか分からないが、この時代のフィルム特有の、輪郭がぼやけた感じ、色合いもくすんでいる感じが郷愁を誘う。髪型も郷愁、ファッションも哀愁、光の具合、影の具合、インテリア、すべてが郷愁を感じるし、哀愁を感じる。

ストーリーが郷愁、テーマが哀愁、ではなく、ただただ絵的に郷愁を感じるこの感じ。わかってもらえるかなあ。


その映像に、「それにしても不思議だな」と思うのは2点。

まずは50年代の白黒映画なんかは、もっとはっきりくっきりしていたように思うこと。まあフィルムの関係なんだろうけど、70年代は特に粒子が荒くてザラザラした感じで、そこがいい。

もうひとつは自分は71年生まれなうえに、子供のころの記憶がまったくないという「ほぼ記憶喪失」と言ってもいいくらい、70年代のことなんて何ひとつ覚えていないのに、それでも映像を見ると郷愁を感じる点。

ああ、私はこの時、生きていたんだなあ、幼くてもそこにいたからなんだろうなあ、と思う(日本だけど)。

・・・やっぱり、郷愁。

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~閑話休題~

話を映画の内容に戻すけど、面白い映画なのかと問われれば、なんかあんまよくわかんないという(笑)、正直言えば「あんま面白くないな」と思った(じゃ最初からそう言いなよ)。

まず、映画が始まり、15分間ずーーっと試合のシーンがつづくのよ。

15分は長い。そして一生懸命見てもスポーツとしての面白さがイマイチ分からない(ザンネン)。

ルール的なものははっきり言ってどうでもよさそうだけど、かいつまんで言えば、競輪場みたいに内側に向かって傾斜のある、ゆるい ”すり鉢状” のスタジアムを、ローラースケートを履いた選手たちが反時計回りにまわっている。選手たちはアメフト選手のようなヘルメットをかぶり、野球選手のようなグローブをつけている。選手のスピードを増すために、バイク担当の選手もいる。選手はバイクにつかまりスピードをぐんぐんあげていく。

壁のふちから砲丸投げの砲丸くらいの大きさの鉄の玉が、カジノのルーレットの玉のように発射されて、ふちを時計回りにぐるぐるとまわりはじめる。鉄球はそのうち中心に向かって落ちてきて、選手はその鉄球を奪い合う。奪った鉄球は選手間でやりとりされ、敵に奪われたり取り返したり、最終的にはそれぞれのゴールに入れば得点となる。ゴールには強烈な磁石がついていて、ある程度近くに鉄球が来ると「ガコン!」とはまり込む。大衆はゲームに熱狂している。

かなり暴力的なスポーツで、殴るわ蹴るわタックルするわ、最後の方は殺しちゃうわで、何でもアリな様子。


ちなみに私はバイオレンスは好きではない。

でも、ジョナサンが後輩を指導するときに「審判にばれないようにやれ」と言っていたから、なんでもありというわけでは、本来はなさそう。だから本来はそれほどバイオレンスなスポーツではないとしても、でもやっぱりそんなに面白そうなスポーツには・・・見えないんだなあ。

それにこの映画は、「バイオレンスが炸裂する!」といった宣伝文句の割には言うほどバイオレンスでもないという、なんとも中途半端な作品だった(これなら『デスレース2000(1975)』の方がバカバカしくもバイオレントで、よっぽどバイオレンスだった)。

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「個人単位の努力はムダだと知らしめるためのゲームだ。我々はその概念を守るべく全力を尽くしてきた。ゲームの意図を邪魔する奴は葬らねばならん」 社長の台詞



物語の肝は(たぶん)「ジョナサンが引退に追い込まれる理由」なのだろうと思う。これが私にはさっぱり分からなかった。

公式には、世界を牛耳っている企業たちは強力な管理社会を実現しているから、「スーパースター・ジョナサンの多大な影響力を恐れて葬ってしまいたい」と考えてのこと、ということになっている。

どうやら世界は6人の社長さんたちによって牛耳られているらしく、重要な事はテレビ会議で決を採って決定しているらしいし、ジュネーブにあるスーパー・コンピューター ”ゼロ” は、それを作っている技術者の言うことすら聞かないし、都合の悪いことは「価値のない歴史」としてきれいさっぱり消し去ったりなんかもしていた(消えたデータは13世紀まるまるで、技術者は「ダンテくらいしか価値がないから、まいっか」くらいに言っていた)。

そんな風に権力が一点に集中していて、大衆を管理しているし管理していきたいから、ジョナサンみたいな影響力のある人間は必要ない、と。

引退させて凡人に落とさなければならないほど、ジョナサンはスーパースターなんだ、と。

言うこと聞かないんなら試合の形でゲーム中に殺してしまおうとするほど、ジョナサンは大衆に対しての影響力があるんだよ、と。


なぜ私がこんなに持って回った言い方をしているかというと、察しのよい方は分かるだろうが、私にはこのジョナサンが、そんっなに影響力のある人物に、まーーったく見えなかったから。

どっちかっていうと「木偶(でく)の坊」に見えた (゜-゜)

ローラーボールの選手としては確かにスーパースターかもしれない。実際映画冒頭で15分間も繰り広げられる試合のあと、本社に向かうジョナサンを大衆が熱狂して迎えていたし、試合中も「ジョナサン!ジョナサン!」って、ジョナサン・コールが鳴りやまない。チームメイトも社長もみんな絶賛していたし、本人も「まあまあ、当然」っていう顔をしている。だからスーパースターであることを、私だって疑ったりしない。


でも、それ以外の点では・・・・表情は「ぼやっ」としていてそんなに賢そうではないし、何にも考えていない感じがする。国家転覆みたいな野心があるようになんてぜーんぜん見えない。

むしろ途中で出てくる元妻のエラの方が、寄らば大樹の陰というか、長い物には巻かれろ的にうまく立ち回っている様子で、別な意味でよほど野心家に見えた。

ジョナサンはそのエラに「自由か、安定か」という二択で軽く話し合っていて、エラは「安定」を、ジョナサンは「自由」を選択していた。

でも、じゃあジョナサンはその自由を獲得するために立ち上がろうと奮起するのか、といえばそうでもなく、まだ「ぼやあっ」としているように見える。

脳みそに霧でもかかってんじゃないの。

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まあ最後の最後、強豪ニューヨーク戦があまりにも理不尽で暴力的で、しかも観客席にはその憎き重役たちも冷徹に観戦しているし、友人は死んじゃったし、妻には幻滅しちゃったしで、さすがに怒りがこみあげてきて決意の表情でアーーーップ!!! みたいに映画は終わっていた。


でも、その怒り方だったら、やっぱり重役たちは別にジョナサンを警戒しなくてよかったんじゃないの? 重役たちは体制を転覆されるのではないかという、ただその一点を恐れているわけでしょう。

できなかったって。

そっとしておいて、ジョナサンには適度に現役を続けてもらって、そのうち引退したら地位とかも適当に与えてあげて、ちやほやしてあげて、「退屈だな、虚しいな」と思うようならチームのコーチとか監督とかさせてあげてれば、そんな「怒りのジョナサン」みたいにはならなかったんじゃないかなあ。

妻のエラのことは根に持ちつづけるだろうけど、でもまあ会社が入れ代わり立ち代わり与える女たちを受け入れているみたいだし、大丈夫だったんじゃないかなあ。


寝た子を起こすような真似だったんじゃない?

だってそんな余計なことするから「引退の謎」を知ろうと動いちゃったし、その過程で情報が隠ぺいされていたり、コンピューター ”ゼロ” も体制にいいように支配されていることに気がついちゃった。

そして最後の理不尽すぎるゲームを通して ジョナサン、覚醒。

だからもしかしたら今後、体制を転覆するために民衆をアジるみたいなことくらいはするかもしれなくなっちゃったじゃない(仲間はたくさん集められそうだったし)。

墓穴を掘ってしまったのかもしれませんなあ。

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結局映画は、物語も演出も音楽も演技も、すべてがもやっと分かりにくくて、しかも中途半端に感じてあまり楽しめなかった。

もったいない映画だったなあ。


だけどそれでも、13世紀の情報を全部すっとばしてしまったコンピューター”ゼロ” を取り巻く状況を見ていてふと思ったことがあるので書いておく。


今、書籍や音楽などを含む、あらゆるデータがデジタル化されようとしていて、いまだに紙の本とかCDなんかを買っていると馬鹿にされる傾向がある(私は音楽はCD派。ダウンロードはしたことがない。本は両刀使い。本の内容によって紙とkindleで使い分けている。漫画は完全にkindle。家が狭いのに、漫画は倍々に増えていくからね)。

でも、内容を改ざんされちゃったらどうするの?

本気でこの世界から、本や音楽が完全にデータ化されたと仮定する。すると手に持って確認することができなくなる。内容を改ざんされてしまったら、誰が、どうやって気が付くの?

紙の本なら、過去にすっかり失われてしまったものはもう仕方がないとして、たとえば聖書とかは「なんとか写本」「なんとか写本」ってあるでしょう? 最近紹介した「千夜一夜物語」だって、悪意はなくても一種の改ざんと言っていい。でも、それが物体としてどこかに残っていたりするから、たまーに発掘みたいなことがされて、比較文献として役に立つわけでしょう。

でも完全にデータだけだったら、非常に発覚しづらくなるのではないの?

権力に都合のよいように書き換えられていても、「これがオリジナルです」って言われてデータが飛んできたら「そうなんだな」って思うしかないんじゃないかなあ。

歴史とか思想書とか哲学書とか(文学でも音楽でもなんでも)、大丈夫かなあ、という気持ちになって、「やっぱり手元にないとね」という気持ちになったのでした。

おしまい。

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スーパー・コンピューター ”ゼロ”

 






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