題名 オーメン
監督 リチャード・ドナー
脚本 デヴィッド・セルツァー
出演 グレゴリー・ペック、ハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス、リー・レミック
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
上映時間 111分
制作年 1976年
制作国 イギリス、アメリカ合作
ジャンル ホラー、オカルト、宗教、アンチキリスト
受賞 アカデミー作曲賞(ジェリー・ゴールドスミス)
ホラー映画の超有名作のひとつ。
私はホラーが嫌いでほとんど見ない。血とか、ぐちゃぐちゃとか、スプラッター的なグロテスクなものが苦手。面白がれない。
それからスラッシャー系というのかしら、『ジェイソン・シリーズ』とか『チャッキー』とか『エルム街の悪夢』とか見たことがない。「バンッ!」って戸棚から何かが飛び出してくるとか、執拗に追いかけてきて殺そうとするとか、もう理不尽すぎる。おかしい。
でも、「オカルト」「宗教」「アンチキリスト」「聖書」などは好きなのでこの『オーメン・シリーズ』は見ている。
それに『シックス・センス(1999)』はすごく面白かったと思うし、『ザ・フライ(1986)』なんかも見てはいるから(これはとても怖くて悲しい話だった(涙))、厳密に言えばホラーが嫌いなのではなく「びっくりさせよう」とか「怖がらせよう」というアトラクション系のホラーが苦手なのだと思う。
この『オーメン』は大丈夫。そんなに怖くない。「知的系ホラー」だと思う(そういうジャンルがあるとすれば)。
主人公は外交官ソーン。待望の子供が死産となり、代わりに引き取った子供ダミアンが悪魔の子であったため、ソーンの身の回りでは不穏なことが次々起こり、関係する人物が次々と凄惨な死を迎えていく。ダミアンが悪魔の子と知ったソーンはダミアンを殺すことを決意。殺し方を知るブーゲンハーゲンの手ほどきを受け、いよいよダミアンと対峙する、という話。
ダミアンの肉体に刻まれた悪魔のしるし「666」。これはオカルト界隈ではつとに有名で、元は聖書に書かれた「獣の数字666」。日本ではこの映画で一躍有名になった。
この、獣の数字666に関して聖書から引用してみると、
「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」(新共同訳聖書 ヨハネの黙示録13章16-18節)
とある。
・・・意味わかります? わたしぜんぜんわかんない (^_^.)
Wikipediaにはさらに注意書きとして、
「すべての者に「0」か「666」の刻印を押し、「666」あるいは「616」のあるものでなければ、物を買うことも売ることもできないようになった。これは「0」の刻印を押されたものに未来は無いということを表す」[要出典]
とある。
「0」と「616」がどこから来たかはここでは問題にしないとして、666がないと買い物ができなくて、666があれば買い物ができるんでしょう? よかったじゃん、買い物できて。むしろ 0 だと未来がないんだから、0 の方がよほど獣のしるしじゃん。これで666のどこが忌み嫌われる悪魔の根拠になるのか、私にはさっぱり分からない。どういうことなの。
分からないから検索してみた。「666」とか「獣の数字」「獣の数字 意味が分からない」「獣の数字 買い物」とか、いろいろと。
でもどのサイトも「666は獣の数字」という前提で話が進んでいて、「666があれば買い物ができるんだからいいんじゃないの」という私の根本的な疑問は完全スルー。肝心のそこを答えてくれる記事は見つけられなかった。
なんでえ (・へ・)ナットクイカン
みんな「なんでー」と思わないのかなあ。・・・私が馬鹿なのかなあ? (T_T)ウオー
「買い物ができる666」はそう悪くないんじゃないのかなあ・・・
とまれ映画の方なのだが、私には納得いかないこの「獣の数字666」を生まれながらにして持つ悪魔の子ダミアンが主人公。彼は生れ落ちた瞬間に、早くもふたり殺している。
まずは自分が入れ代わる外交官ソーンの息子。そしてもうひとりは母親(山犬だけど)。
ダミアンはいいとこの息子に収まるべく実の母親(犬だけど)を殺し、目を付けたソーンの子供も殺し、そして悪魔の手先と化している神父を利用してまんまと外交官の息子の立場を手に入れる。外交官ソーンは、まさか引き取った子供がそんないわくつきの子供だなんて思わないから、妻には秘密にして実子として育てていく。
年とってからできた子供だし、若い妻に「死産だったよ」と言って悲しませたくないし、外交官というエグゼグティブとしては後継者も見せびらかしたいし、家族してみたいし、バラ色の未来が待っているはずなんだし・・・というところかなあ。
気持ちは分からないでもない。引き取る子がまさか「悪魔の子」だなんて誰も思わないもん。
でも結構な判断ミスになっちゃった。
だって持ちかけてきている神父の見た目がもう怖くてヤバイものー。やべえやつだもの。それに「まったくぴったり同じ時間に生まれた子」みたいな話も胡散臭すぎる。
・・・やっぱり失いたくないものが多すぎて、しかも大きすぎて、それを賭けた大きな決断を迫られるというプレッシャーが冷静な判断を狂わせるのかな。
特に妻の存在が大きかったかな。たいへんな難産で、まさか死産だったとは知らずにベッドに横たわっていて、息子に会う希望に胸を高鳴らせて待っているという、なかなかプレッシャーなシチュエーションなんで、そこへ「死産だったよ 残念だったね」とはね・・・言いづらい。そこへ悪魔の誘惑のささやきが。
嘘をつくか、真実を取るか、ソーンにはあんまり迷っている時間がない。
まるで「あと5分でセール終了です」と言われているネット・ショッピングみたいなもんで、あんまり吟味することなくポチってしまう、あれと同じか。
たかがネット・ショッピングごときですら冷静な判断力を失ってポチってしまうんだもの、ソーンの置かれた状況が与えるプレッシャーを考えれば、ついポチってしまったのも無理はない(ぽちったわけではないが)。
とにかくソーンはこの判断ミスが命取りになって、悪魔の子 を育てる羽目になってしまう。お気の毒さま。
そしてまたこのダミアン役の子が悪魔なのよー。もう目がすごい。この頃4歳らしいが、本当に念力で人が殺せそうな眼力。目から火とかビームが出てもいけるやつ。相当滅ぼすね。
要は、可愛くないのねー。
ナイス・キャスティングだと思うけど、このダミアン役にぴったりって言われても嬉しくはないだろうなあ。「うちの子が悪魔役にぴったり」って、お母さんどういう気持ちだったかしら。
このダミアン役を演じたハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス君は、この「オーメン」一作しか出ていないと言っていいレベルだから、普通に大人になっていったんだと思うけど、学校で「悪魔の子」とか言っていじめられたりしなかったかしら。絶対にいじめられると思うんだけど。
でも「オーメン」は有名作だからイベントなんかもあるらしく、2008年に行われたショーで彼は「三輪車に乗って」登場したというからノリも良さそう。まっすぐ生きられてたらいいんだけど。
ところでラストシーンでダミアンが見せる不気味な笑顔。あれは本来であればNGカットだったらしい。監督は「絶対に笑わないでね」と言って演出したんだけど、ダミアン役のハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス君は笑ってしまって、結果的にはそれが採用された。
ちなみにその監督は、当ブログでも記事にした『スーパーマン(1978)』『レディホーク(1985)』も撮っているリチャード・ドナー監督。
このブログを書くまで全然意識していなかった。でも今まで紹介したわずか100本程度の記事の中で、すでに3作目。これはファンなのかもしれん。
そして父親ソーン役は往年の二枚目スター、グレゴリー・ペック。
別の記事でも書いているのにまたしつこく書くけど、若かりし頃のペックはとにかく美しいのでね、ぜひ見ていただきたいですね。何度も書きたくなるほど美しいんでね。
別にファンではないんですけどね、「しかしつくづく美しい男だな」と思うんですね。興味があれば、一番若いペックが拝める『白い恐怖(1945)』をおすすめしますね(それより昔の映画を観るのはちょっとむつかしそうなのでね)。
ぜひ、目の保養にどうぞ。過去記事リンク貼っておきます。
では続編で。