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割と自己流で生きています

【本】星新一著「ボッコちゃん」(新1)読んでないなんて信じらんない、星新一の代表的短編集(のひとつ)



題名 ボッコちゃん
作者 星新一
表紙・挿絵 真鍋博
出版社 新潮文庫
出版年 1971年 
出版国 日本
ジャンル SF、ショートショート



参考)星新一サイト
https://www.hoshishinichi.com/



星新一、大好きです。小学生の頃に父にもらった『悪魔のいる天国』を皮切りに、ずーーーっと読み続けて幾星霜。かなりの本を読んできた。

この記事をいきなり星新一のサイトのリンクで始めたけど、このサイトの「刊行順」から作品一覧を眺めていると、相当数読んでいると思う。


で、星新一と言えば、簡潔、クール、透明、感情を完全に廃した文体、エス氏、エヌ氏、そっけなさ、テンポの良さ、無駄のなさ。センス・オブ・ワンダー。何度読んでも面白い、古くならない、大傑作ばかり。

自分の頭で考えることの面白さを教えてくれた作家のひとり。わずか数ページにすぎない小説なのに、すごく深くて考えさせられて、ほとんど哲学。



その数ある文庫の中でも『ボッコちゃん』は、星新一自身による自薦短編集で全50篇収録されている。

本人があとがきで「初期の作品が多い」と言っているが、このあとがきが書かれたのがS46年(1971)なので、デビューから大体10年間くらいの間の作品から選んだ自薦短編集ということになる。

そしてこの頃はイラストが真鍋博(感慨深い)。のちに担当する和田誠のまあるくソフトな画風に対して、直線的かつポキポキした画風の真鍋博。好きです。


以降は特に心に残った作品の覚書。50篇も収録されているので、もちろんごく一部。()内はその短編のページ数。


  

『ボッコちゃん』(5ページ)

簡潔で無駄のない文体、なのに情景が目に浮かぶ。全く無駄口を叩かないボッコちゃんは超クールで乾いている。後半はハードボイルドさえ感じた。わびさびを感じるラスト。


『おーい、でてこーい』(6ページ)

ユーモアがあって、皮肉が効いていて、深くて、怖い。「ニヤっ」とした後、深く考えさせられる。キーワードは、天につばする、因果応報。先送り的な感じもある。


『月の光』(7ページ)

混血の少女をペットとして飼っている男の話。会話があるために人間は不幸になるとの考えのもとに、一切の言葉を教えずに育ててきたことが最後に不幸をもたらす。

不幸かもしれないが ”美しい” 作品。情景が目に浮かぶし、控えめな描写で、悲哀を感じて、美しかった。


『冬の蝶』(9ページ)

今で言うところのオール電化のように、すべてが機械でコントロールされた世界に住む男女の話。ある日町中の機能が止まってしまうが二人は無知でなすすべがなく、気温が低下していく中、町の機能が回復するまでゆったりと待っていると二人に死が訪れ、傍らではペットの猿が火を発明しようとしている、という話。

機械に頼りすぎた人類への警鐘。


『鏡』(10ページ)

主人公は13日の金曜日に鏡を向い合せにして、その奥からやってきた悪魔を捕まえる。ところがその悪魔が期待に反して役立たずであることを知ると、男は悪魔をいじめはじめ、妻も一緒になっていじめるが、いじめると気分がスッキリして人生が好転し始める。二人のいじめはエスカレートしていき、悪魔は妻の隙を突いて鏡の中へ戻ってしまう。楽しみを失った二人はお互いの責任を責め立て、次第に殺し合いへと発展していく。

いつもの感情を廃した乾いた文体なので ”さらり” としているが、人間の残酷さが描かれていて恐ろしい。


『妖精』(6ページ)

若くて美しい少女の元に妖精が現れ、願いを叶えてくれると言う。ただし少女がライバルと思っている別の少女にも同じ効果が表れ、しかも相手には2倍の効果があるという。「美しくなりたい」と思えば、ライバルは倍美しくなってしまう。少女は考えて、ライバルの少女に取りつくよう願う。しかし相手は自分をライバルとは思っていなかったのか、自分には一向にいいことは起こらなかった、という話。

『鏡』のように、こちらも皮肉が効いた人間論。


『ある研究』(4ページ)

人類にとってある重要な発明をしようとしている男がいるが、それがあまりにも新しすぎる発明なために自分でもそれが意味するところが分からず、説明できないために周囲の理解も得られず断念してしまう。彼が発明しようとしていたものは「火」で、人類が火を獲得するにはまだまだ時間がかかることになってしまった、という話。

いつの時代の話なのかが分からないように表現が工夫されていて、ラストで「はっ」と思う、うまくオチが効いている作品。


『肩の上の秘書』(6ページ)

あらゆる人が肩にロボットのオウムを乗せている世界。セールスマンの男が訪問販売し、ぼそっと「これを買え」と言うと、肩のオウムがありとあらゆる装飾を施した言い方で相手に伝えてくれる。相手が「いらないわ」と言うと、その肩にとまったオウムが華麗な表現でやんわりと断ってくれる、という話。

人がいかにオブラートにくるんでいろいろなことを喋っているかが分かる、無駄なような、大事なような・・・そういう作品。


『なぞの青年』(5ページ)

莫大な資金を持っているらしいある青年が、子供たちのために公園をつくったり、働きづめだった真面目な老人に旅行をプレゼントしたり、海外に流出しそうな古美術品を買い戻して寄付したり、生活困窮者に生活費を提供したり、遺跡の修理費用を用立てたり、とにかくとても良いことにお金を使っていたが、彼は単なる税務署職員で国民の税金を勝手に使い込んでの行為だったため、税務署の上司によって精神病扱いされて病院送りにされてしまう、という話。

極めて正しく理想的に税金を使っていた青年がキ〇ガイ扱いされ、正しく税金を使っていない国や国家権力の理屈が通るという、痛烈な皮肉が効いた社会批判的な作品。


『最後の地球人』(10ページ)

人口が爆発的に増え200億人を突破して地上を埋め尽くし、地球上の動植物は消滅、科学文明は極まって人々は働く必要もなくなった未来。ある時期から一組の夫婦からひとりしか子供が生まれなくなり、急激に人口が減っていく。最後に残された男女も死に、いよいよ最後のひとりである幼児が取り残される、という話。

ラストで幼児が「光あれ」と言っているところを見ると、同じことがもう一度繰り返されそうなオチ。物悲しい空気が流れて何とも言えない寂しさ、虚しさが漂う作品。

 

解説は筒井康隆。

印象に残ったところを引用する。

「傷つきやすいハートを持つ星新一は、彼自身の最も恐れる複雑な人間関係の醜悪さを、そのストイシズムによって彼の文学から締め出そうとする。一方実生活の上では、他人を傷つけることのない自己の完成へ向かっている。もし星新一によって傷つけられた人間がいるのなら、それはよほどの悪人であろう。星新一は、しばしば他人からひどく傷つけられる人間は、意識せずして他人をひどく傷つけている存在であるということを、むろん知っているのだ。」




もし、今まで星新一を読まずにきた方がいたら、まずはこの『ボッコちゃん』から。

ぜひ、おススメしたい一冊です。