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古い映画感想ブログです。驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「アウトサイダー(1983)」 遥か遠く懐かしい、80年代不良少年青春映画の代表格

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題名 アウトサイダー
監督 フランシス・フォード・コッポラ
制作総指揮 フランシス・フォード・コッポラ 
脚本 キャスリーン・ローウェル
原作 S・E・ヒントン「アウトサイダー」1967年
出演 C・トーマス・ハウエル、マット・ディロン、ラルフ・マッチオ、パトリック・スウェイジ、ロブ・ロウ、エミリオ・エステベス、トム・クルーズ、ダイアン・レイン、レイフ・ギャレット
音楽 カーマイン・コッポラ
上映時間 91分
制作年 1983年
制作会社 アメリカン・ゾエトロープ
制作国 アメリカ
ジャンル 青春、不良

 

「黄金の色は ”あせる” 創造の時 緑は黄金 すぐに移ろう 創造の時 葉は花 すぐに散り やがて葉はただの葉 楽園(エデン)は悲しみに沈み 暁はただの昼 黄金の色は”あせる”」ロバート・フロスト

 

 

 

注意:warning
世代すぎるがゆえに思い出がありすぎて長文にならざるを得ませんでした。1万文字以上あります (゜o゜)ヒュー
その代りいつもと違って目次つけましたw ご理解下さい。(^_^.)

 

 

前置き:私が見た80年代の不良事情

80年代前半は、不良が有効だった最後の時代だったと思う。

私が見ていた80年代は、前半は ”不良らしい不良” がたくさんいて、80年代半ばを過ぎると”不良らしい不良” は跡形もなくなり、チャラい遊び人系ばかりが目立っていた。

中学時代には、いわゆる ”不良” が学校にも結構いたし、長ランとか短ランとかドカンとか着ている生徒もいたし、中学生がよく見るような雑誌には、派手な刺繍が施された学ランの通販ページが普通にあって、そこではメリケンサックとかも取り扱われていた。

それが私が高校生になったころには、身の回りから「不良っぽい男の子女の子」というのはきれいさっぱりいなくなって、代わりに出てきたのが「チャラい遊び人系の男の子女の子たち」。遊びたいからバイトしてるみたいな。それでディスコに遊びに行くみたいな(この頃は ”ディスコ” でしたw)。

まあ地域差はあるだろうし、高校のカラーとかもあると思う。私が行っていた高校は ”ユルイ” ことで有名だったし、いわゆる不良が集まるような高校ではなかった。ツッパッてると馬鹿にされて笑われるような、ツッパリが恥ずかしくなるような、そういう雰囲気を持った高校で、当時としてはやや特殊だったと思う。進学校ではないが、進歩的な感じ。今は当たり前の制服のミニスカートも、まだそういう流行はなかったのに私の高校ではすでに始まっていた。長いスカートからミニスカまで、両極端が併存していた。

でも、後で思えば「バブルが始まっていたのだなあ」とすごく思う。私はバブルを享受できなかった世代だからまったく体験できなかった(高校卒業と同時にバブルがはじけていた)。でも、高校時代に遊んでいた子たちはたぶんバブルを体感していたんだろうなあ。まあ、私はきらびやかなところや派手なところが大の苦手だし、「遊びたい」と思わない性格なので、そもそも無縁なのだけれど。


そんな、日本においては「不良から遊び人へ」という時代の変わり目に公開された、「不良」というものが魅力的だった最期の時代の、昔懐かしい「10代の不良青春映画」のひとつ。この映画に出ていた若手俳優たちは、次々とブレイクしてスターになっていった(元々スターもいたけど)。

私にとってはとても懐かしい、青春の、郷愁すら感じる思い出の一作。当時大好きで、これを見てマット・ディロンとダイアン・レインのファンになって、二人は中学時代の私のアイドルだった。壁にポスター貼ってたもの。

今、こういう不良少年たちの青春映画って、あるのかな(私はもう大人だからよく知らない)。


短めのあらすじと長い感想

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****** あらすじ ******
オクラホマ州のタルサでは、貧しい家庭の少年たちの集まりである ”グリース” と、裕福な家庭の少年たちによる ”ソッシュ” のふたつのグループが敵対していた。ある夜、グリースの少年ポニーボーイとジョニーはソッシュの連中と喧嘩になり、ジョニーは相手リーダーのボブをナイフで刺して殺してしまう。二人はグリースの兄貴分であるダラスに助けを求め、郊外にある教会に潜伏する。

一週間後、二人の様子を見に来たダラスと一緒に気晴らしに出掛けた直後、ジョニーが消し忘れたタバコの火が原因で教会が大火事になってしまう。しかも最悪なことに、ピクニックに来ていた子供たちが教会の中に多数取り残されていた。そこへ戻ったポニーボーイ、ジョニー、ダラスの三人は命がけで子供たちを救出するが、教会が崩れ落ちてジョニーは大けがを負い、新聞は三人を英雄と持ち上げる。

グリースが久しぶりのソッシュとの大乱闘に勝利したその夜、重症だったジョニーが死んでしまう。ジョニーがポニーボーイに残した最後の言葉は「stay gold(いつまでも黄金のままでいろよ)」だった。ジョニーを失った悲しみで自棄になったダラスは、まるで自殺のような行動に出て死んでしまう。ジョニーとダラスという大切な仲間を失ったポニーボーイは、「stay gold」の言葉を胸に、仲間たちとの出来事を作文にし始める。
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この記事の冒頭に「私にとっては懐かしい、郷愁の念を起こさせる映画なのです」というようなことを書いたけど、映画自体も出だしと終わりがやたらとノスタルジックな作りになってる。

出だしは黄金色の夕焼けに彩られた景色と、あのスティービー・ワンダーが歌うこれまたちょっと懐かしいテイストの、哀愁ある主題歌をバックにオープニング・タイトルが流れ、続いて出演している若者俳優たちのクレジットが流れていくという、始まるや否やいきなりのノスタルジック炸裂。

本編自体は全然ノスタルジックじゃないのに、エンディングがまたノスタルジック。オープニングと全く同じテイストで、郷愁の黄金色にスティービーの歌声。

黄金の映像に「黄金の輝きがどうの」という歌詞。いろいろあったけど昔はよかったなとか、なんかそういう悲しくも美しい記憶っていう感じがぐんぐん来る。

おまけに映画のラストではそんな黄金色をバックに、今は亡きジョニーが合成で重ねられて出てきてポニーボーイに語りかけるという、今見るとくっそ古臭く感じるけど、当時でも十分に古臭い演出だった(笑) 


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オープニングがノスタルジックなだけでなく、映画のストーリー自体もたいへんオーソドックスな作りになっていて、特に目を引く新しさはない。古典劇『ロミオとジュリエット』や、映画『ウェイスト・サイド・ストーリー(1961)』と同じように、二つの敵対するグループに所属する不良少年たちが、それぞれ対立しているという伝統的なストーリー。

登場する少年たちも、若くて、それぞれがそれなりの不幸を持っているような少年たちで、自分を取り巻く環境に対する怒りと、ジリジリとするような孤独を持て余している。貧しい子たちは貧しさゆえの悲しみを持ち、金持ちの家の子は金持ちの家の子らしい悲しみを抱えている。



でもこの映画『アウトサイダー』は、別にそういった悲しみの原因を浮き彫りにしようとか、若者たちが抱えている問題を深く掘り下げようとかいう映画ではぜんぜんなさそう。

例えば、「傷ついた10代」の映画としてはジェームズ・ディーンが出ていることで有名な1955年の『理由なき反抗』が代表的だけど、まあ言ってしまえばこれも別に大した映画ではない。当時は画期的だったかもしれないが、現代の目で見てみれば別になにがどうということもない、「永遠の大スター、ジェームズ・ディーンが出ている映画」というだけではある(ちなみに私はジェームズ・ディーンの大ファン)。

大した映画ではないけれど、でも『理由なき反抗』の方はまだ、「”男のくせに” 母親の言うなりになってオロオロするだけの父親」というのが出てきて、そういう父親を持ったジェームズ・ディーンの苛立ちみたいなのは描かれていた(なんの解決もなく映画は終わるのだが)。前近代的な父親の権威が失われていく時代だったんだろう。


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一方、この『アウトサイダー』には大人がいくらも出てこない。

主人公のポニーボーイの両親は交通事故で亡くなっていて、一番上の兄貴の稼ぎで生活しているため当然貧しく、ポニーボーイは「兄貴が自分を施設に入れようとしているような気が」しているような高校生だし、

同じくもう一人の主役のジョニーの方は、父親がアル中らしくてしょっちゅう両親が喧嘩していて家に居場所がない。両親はいるけれども、別にクローズアップされることもなく、大喧嘩している遠景のシーンがあるだけで、それに気づいたジョニーはすぐにその場から逃げ去るから、ちゃんとは描かれない。あとはすべてジョニーの口ぶりから察せられるだけ。

他のグリースたちもソッシュたちも、親はいるんだろうけど、具体的にはまるで描かれないのである。映画はただただ、10代後半の不良少年だけにスポットをあてている。


意図的・・・なんだろうけど、結果的には感傷的な、ムードだけの深みがない映画になってしまったと思う。


とまれ、当時の映画評も、10代の少年少女には大人気の映画だったかもしれないが、一般的には「駄作」とまではいかないまでも、「まあまあ駄作」という評価だったように思う。確かスクリーンだったかロードショーだったかは忘れたが、「失敗作」みたいに書かれていたと思うし、「巨匠コッポラには、こういう低予算映画は向いていないのではないか」とか書かれていた。

このあたりは以前に記事にした『マジックボーイ(1982)』に、80年代のフランシス・フォード・コッポラについて、少し書いているので興味のある方は参照されたい(一番下にリンクを貼っておきます)。


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それにラストでダラスが死ぬんだけど、これも当時「ダラスがなぜ死んだのかが分からない」という映画評を読んだことがある。

これは実際その通りで、なんでダラスが急にヤケクソになったのかが皆目わからない。

ジョニーと言えばポニーボーイが相棒なんであって、ダラスは兄貴分として登場するけど、心の友っていう感じじゃあなかった。ジョニーとダラスの間には明らかに距離がある。

同じグリースだけど、ダラスは鑑別所に入っちゃうような典型的な不良少年だけど、ジョニーは大人しめで、ジョニーはダラスのことを「一緒にいるし仲間だし、いいヤツなんだけど、ちょっとそうじゃないんだよな」と思ってるような気がする。二人の間には距離がある。

一方、ポニーボーイは本なんか読んだり詩を口ずさんじゃうような男の子で、ジョニーはそんなポニーボーイから色々と気づかされることが多くて、二人は心情的に寄り添えて、近い。

そういう関係なのに、ジョニーが死んだ途端に突如ダラスの方が主役みたいになっちゃって、やたらとナイーブに反応して自暴自棄になっちゃって。

ポニーボーイが自棄になるのであればまだしも、なんでダラスが? しかも急にw という感じは否めない。


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そしてさらに言えば、その一番心が通じていたはずのポニーボーイの方はかなりサラッとしているように見えた。

ジョニーが死んでいくらも経ってないと思うのに、「もう終わった昔のことさ」みたいな、60歳にでもなってから遠い昔の青春時代を思い出しているかのような、なんか他人事みたいな軽い表情だった。「夏休みの思い出を9月に作文にしようっと」くらいの軽い表情に見えたぞ。

ジョニーはポニーボーイをずっと頼ってて、「大人になっても輝きを失わないでほしい」なんて最後の言葉も残し、手紙まで残しているんですよ。ポニーボーイ、あなたにですよ。

それなのにポニーボーイはさらっとした顔して過去のこととして片づけて作文書き始めちゃうし、「喧嘩したって解決しない。ダラスは間違ってるよ」みたいに言われて否定されたダラスの方がジョニーを追うように死んでしまうという・・・

うむむ。なんかようわからん。

と言う具合に、ダラスにしてもポニーボーイにしても、最後の行動に一貫性と説得力がいまいちなくて、感情移入しきれないのだった。



やっぱあれかしら。あの頃はまだ「主人公が最後死ぬのがかっこいい」みたいな演出が有効だったから、コッポラもそうしたのかしら(原作通りとはいえ)。

あとコッポラはたぶんマット・ディロンを気に入っていたと思うし、その気に入っているポイントは「不良少年として絵になるところ」だったと思うから、それで後半強引にスポットをあててしまったのかしら(コッポラはマット・ディロンを使って『ランブル・フィッシュ(1983)』も同時期に撮ってる)。

「どう? 不良少年映画っぽいでしょ」みたいな。


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文句ついでにもう一つ言ってしまえば、ポニーボーイが読みたがっていてジョニーが買ってくるペイパーバック本が『風と共に去りぬ』で、死にかけたジョニーが続きを知りたがっていたり、仲間のツー・ビットが買いに行ったりして、『風と共に去りぬ』がとても強調されていたけど、理由がまったく分からなかった。

ストーリーに生きてくる、ということは全然なかったと思う。

でも今回見直して、「ああそうか、きっと映像が『風と共に去りぬ』なんだろうな」とおもた。あの黄金色の夕焼けにジョニーとポニーボーイのシルエットなんか見ているとそう思う。だから「風と共に去りぬ的な映像にしてみました」宣言なんじゃなかろうか。「似てる」と言われないために先に先手打っておく、みたいな。

・・・違うかな。原作でも『風と共に去りぬ』出てきてたのかなあ。


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出演者のこと マット・ディロン

・・・とまあ、なんだか「思い出の作品」とかいいながらボロクソに書いてしまったかもしれないが、それは監督のコッポラに対してなので、出演者に対してではない。

それではこの映画の最大の魅力はなんなのかというと、それはこの出演者たち、当時の(この映画公開後の)若手スターが大挙して出ていること、これに尽きる。

この映画でスターになった者、この映画でスターになったが一瞬のきらめきで消え去った者、すぐはスターにならなかったが少し間を置いてスターになった者、一旦は消えたかに見えてまた復活してきたものなど、なかなか話題性たっぷりな若手俳優ばかりがでてる。

要するにこれはスター映画なのである(当時はブラッド・パック、日本ではYAスターとか言われていた。YAはヤング・アダルトの略です)。


なんと言ってもまずはマット・ディロンでしょう。マット・ディロンはこの映画で世界的にブレイクしたと思うけど、すでにいくつもの映画に出ていて、アメリカでは若い子たちの間では十分人気者だった。

私もファンだったから(過去形)結構見てる。1979年のデビュー作『レベル・ポイント』からはじまって、『リトル・ダーリング(1980)』『マイ・ボディーガード(1980)』は見てる。そして『アウトサイダー』『ランブル・フィッシュ』へという流れ。間に撮影されている『テックス(1982)』と『初恋物語(1982)』は不良役じゃないせいか、日本ではDVDとかでも手に入らないので私は見ていない。マット・ディロンはやっぱりちょっと不良ぽい役どころがいい。

でも、私の認識では、この『アウトサイダー』のあとの、翌年公開された『フラミンゴ・キッド(1984)』がよろしくなかった。中学生の私でさえ「うーん」と思ったもん。10代向けの青春映画としては普通の出来だと思うけど、マットが不良じゃなくて、さわやか青春映画みたいな感じで、普通の中産階級の少年だったのが似合ってなかった。『ハイスクール・ミュージカル(2006)』当時のザック・エフロンとかがやれば似合いそうな。だからたぶん期待されるマット像じゃなかったんだと思う。これで私の心はちと離れた。

その後『ビッグタウン(1987)』では再びダイアン・レインと共演しててギャンブラーの役だったけど(クラップスやってた)、ダイアン・レインのヌードと、それをぽかんと見ているマットの顔くらいしか印象に残らない作品だった。原作の小説はラストがなんとも悲しくて、結構面白かった記憶があるんだけど。


というわけでマット・ディロンは80年代半ば過ぎにはすでに人気は下降線だった。私もほとんど感心をなくしていた。アイドルの座はあっという間だった。あんなに人気があって、雑誌の人気投票でも上位に位置づけていたのに・・・はかないのー。


ところが、私がマット・ディロンをすっかり忘れた頃に、ガス・ヴァン・サント監督の『ドラッグストア・カウボーイ(1989)』でジャンキー役をやったのが久々のスマッシュヒットになって「お。ワルで格好いいマット・ディロンが戻ってくるのか」と期待して、その後『死者の眠る街(1993)』の知能は低いけど天才写真家役で「下手くそだなあ。マット・ディロンに天才役は無理」となって、私の中でのマット・ディロンは完全に終わったのだった。

とはいえ、マットは「大スターになりそこねた」かもしれないけど、俳優としてはその後もかなり活躍してて、『誘う女(1995)』『メリーに首ったけ(1998)』『ワイルドシングス(1998)』『クラッシュ(2004)』などのヒット作にいい役でコンスタントに出ていて、決して消えたりはしないのだった。そしてどれも結構面白い。





出演者のこと ダイアン・レイン

次に紅一点であるダイアン・レイン。大人っぽくてほんと綺麗だった。当時はソフィー・マルソーとフィービー・ケイツと人気を三分する存在で(他にもいたけど)、私はダイアン・レイン派だった。80年代一杯くらいまでは好きだったな。

ダイアン・レインは子役で『リトル・ロマンス(1979)』に出て、まあ子供同士の純愛みたいな『小さな恋のメロディ』的な映画で、それがそこそこ評価されてスターになり、この『アウトサイダー』と『ランブルフィッシュ(1983)』に出て世界的にブレイクする。

そして『ストリート・オブ・ファイヤー(1984)』が大ヒット。ロック・クイーンを演じてて、口パクだけどライブシーンも決まってた。サントラもすごくヒットしてた。

ところが同年公開された『コットンクラブ(1984)』がなあ、またもやコッポラ監督で、これが評判が悪くて「コッポラさようなら」みたいな作品になっちゃって、それ以降あっというまにスターダムの座から消えて行った感がある(コッポラ自身も凋落していく)。

でも日本では「銀座じゅわいよ・くちゅーるマキ(今の銀座ジュエリー・マキ)」のCMを結構ながくやっていたから、80年代後半も深夜帯のCMではよく見ていて、私は好きだった。新聞に大きな広告が何度か出て、それを切り取って壁に貼っていた。今でも探せばあるかもしれない。

けれども1992年の日本映画『落陽』(加藤雅也が出てたやつ)に出ていると知った時には、なんかもう悲しいというか、悲しかった。


しかしダイアン・レインが復活するときが来るとは思わなかった。2002年の『運命の女』で俄然注目されて、中年になってやや枯れたところが色っぽいということで、かなり話題になっていた。『マン・オブ・スティール(2013)』を観た時は、「おお、中年になって別の魅力がでてきたなあ。若い時よりいいかも」と、ケビン・コスナーともども感心した記憶がある。

年を重ねてなお魅力的って、いいよね。整形もしていなさそうだし、私はちゃんと年を取ってくれる自然美人が好きです。



ダイアン・レイン Diane Lane CM集 (再)



出演者のこと トム・クルーズとかその他の出演者たち

他の出演者も簡単に。

まずは消滅組。

アイドル(スター)として一番短命だったのは主役ポニーボーイを演じたトーマス・C・ハウエルかなあ。まさしくこれ一発だった。その後『ヒッチャー(1986)』が「怖い」と話題になったくらいであとは皆目。





次がこれまた主役のジョニーを演じたラルフ・マッチオかな。このあとあの有名作『ベスト・キッド(1984)』で主役を張って日本でも大ヒット。ノリユキ・パット・モリタ爺さんと共に一躍スターダムに。そしてこれだけで消えて行った。かわいかったんだけどね。大人の男になりにくい可愛さだった。





そしてポニーボーイの二番目の兄貴ソーダポップをやったロブ・ロウ。このあと『ホテル・ニューハンプシャー(1984)』とか、大ヒットした『セント・エルモス・ファイヤー(1985)』とかに出て順風満帆かと思いきや、未成年とのえちえちがバレてスキャンダルになっておしまい。その後は、1999年の『オースティン・パワーズ』にちょい役で出ているのを見て「よかったね」と思ったくらい。でも80年代後半はすごく人気があった。ブラッド・ピット的な個性なのかな、と思ってる。





ここからは成功組。

まずポニーボーイの一番上の兄貴ダリー役をやったパトリック・スウェイジ。彼はこの映画ではそれ程ではなかったけど、4年後の『ダーティ・ダンシング(1987)』で踊って登場してきて俄然注目され、極めつけは言わずもがなの『ゴースト/ニューヨークの幻(1990)』が空前の大ヒット。日本では1年くらいずーーーっと映画館でかかってた。現在ではシンジラレナイかもしれないけどホントです。「まだやってんだ」と見もせずに思ってたもの。そしてキアヌ・リーヴスと共演した『ハートブルー(1992)』も良かった。ラテン系の肉体派。日本人好みじゃないようで、日本ではそれほどのスターにはなれなかったけど、アメリカでは「セクシー代表」みたいに言われてすごく人気があったと思う。





次にツー・ビットをやったエミリオ・エステベス。この人が一番地に足がついてて最終的にはこの中では一番勝ち組なんじゃないかな。『ブレックファスト・クラブ(1985)』とか『セント・エルモス・ファイヤー(1985)』とか、いわゆるスター映画(この頃はブラッド・パックと呼ばれる若手スターがたくさん出てた)にもきちんと出て、大スターの弟チャーリー・シーンと一緒に『ヤングガン(1988)』に出たりもしてうまいことやりつつ、その後じわじわと演出とか監督とかの裏方でも才覚を表す、ということで危なげがない。なんかすごくちゃんとしてるっていうイメージがある(弟と違って)。





最後にイマイチな役スティーヴを演じたトム・クルーズ。この頃は大して注目もされず、マット・ディロン以下他の若手スターの陰にいたが、実際この映画でのトム・クルーズは、出番が少ないからその分目立とうとしたのか知らないが、やたらと張り切ってバタバタ騒いで悪目立ちしてた。声も悪いし滑舌も悪い、歯並びも悪いと来て、確かにスターになるはまだ早かった。スターになる準備ができていなかった。その後はあの『トップガン(1986)』で大ブレイク。そりゃあもう凄まじい勢いでスターになっていった。そのスターぶりはここに書くまでもないので割愛する。





ちなみに蛇足ではあるが、教会に潜伏する二人の様子を見にマット・ディロンが行き、三人でハンバーガーを食べに行ったそのドライブインで、三人に話しかけてくる出っ歯の女の子は、幼き頃のソフィア・コッポラです。

さらに火事の教会のシーンの後、病院に運び込まれたマット・ディロンのベッドわきにいる中年の看護師は、原作者のS・E・ヒントンです。


出演者のこと レイフ・ギャレット

というわけで大体の出演者の履歴を書いてみたが、ここであともう一人、おまけ的に忘れちゃいけないのが、ソッシュのリーダーを演じたレイフ・ギャレット。

私は世代じゃないのでリアルタイムは知らないのだけど、70年代後半の大人気アイドルだったらしい。そして同じくティーン・スターのクリスティ・マクニコルやブルック・シールズ、テータム・オニールたちとブイブイ言わせていたらしい。

Youtubeで見ると確かに可愛い。文句ないアイドルぶりである。しかも下手くそな歌も歌ってる。そして知らなかったのだが、なんとあのトシちゃん(田原俊彦氏)のデビュー曲である『哀愁でいと』はレイフ・ギャレットのアルバムに収録された『NEW YORK CITY NIGHTS』のカバーだったらしい。

私、ジャニーズはおろかアイドルに皆目興味がない若者だったんだけど、『哀愁でいと』はその名の通り哀愁があっていい曲だと思う。「BYEBYE 哀愁でいと 駆け抜けた BYEBYE 哀愁でいと 赤い稲妻」っていうところが特に好き。トシちゃんの赤い稲妻に対して、マッチの青い稲妻(ブルージーンズ・メモリーね)。いいね。


今回Youtubeで確認してみたらちゃんとあった。Youtubeにはなんでもあるね。当時録画していた人、ありがとう。いくつかリンクを貼るのでぜひ見てください。


★レイフ・ギャレットCM まごうことなきアイドル。かわいい。


1979 ナビスコ アイダホポテトスティック



★レイフ・ギャレット『NEW YORK CITY NIGHTS』
☟ 本当はもっと映像も音声もきれいなのがあるんだけど、70年代後半の雰囲気をよく伝えてるこれが好きです。


New York City Nights By Leif Garrett Live



★比較のための、田原俊彦『哀愁でいと』


哀愁でいと 田原俊彦



Wikipediaによると、レイフ・ギャレットは日本に来た時レコーディング・ブースで女の子を膝に乗せて歌入れをしたらしいwwww 

いやー、この時代のスターたちの調子の乗りっぷりって、見ていて気持ちがいいね。若い時はそういうの馬鹿にしていたけど、今は大人になって寛大になったのか「いいね」と思うようになったよ。最近はスターもコンプライアンスがうるさくて、その結果真面目で優等生的で見ていてつまんないし可哀想。

若くて格好良くて(可愛くて)人気あったら調子に乗っていきたいよねえ。せっかく格好いいんだから調子に乗りたいじゃん。その勢いがまた人気への勢いにつながるわけでしょおお。相乗効果でぐんぐん勢いに乗っていって、突然ポシャるの。しょうがないよ。また復活しておいでよ。あるいはそのあと地に足つけて生きて行ってよ。私はそういうスターがいてもいいと思う。

私もなあ、次に生まれてきたらすごい美人になって、あるいはすごい格好いい男になって、遊びまくって、愛人も囲うんだー(ばかw)。

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映画ではこんな感じ




締めの言葉

長々と語っちゃったけど、まあ今回はこんな感じ。

真面目に戻って『アウトサイダー』の映画作品としての結論を言えば、『アウトサイダー』の数年前に公開された『さらば青春の光(1979)』の傑作ぶりには遠く及ばない映画だった。


だけど、この映画の後に公開されていくハリウッドのスター映画は、不良とかではない青春映画ばかりになっていったと思うし、不良っぽいスターはマット・ディロンが最後なんじゃないかと思う。

マット・ディロンがスターだったのも短い期間だった。アメリカでも不良の時代は終わったらしく、その後はもういない。不良の概念が、ロックからHIPHOPに変わってしまった。

でも、私はロックな不良たちを忘れないぞ  (`^´)ワスレナイ!

 





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