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古い映画感想ブログです。驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「十二人の怒れる男 (1957)」~疑わしきは被告人の利益に~ 密室劇の頂点 

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題名 十二人の怒れる男
監督 シドニー・ルメット
脚本 レジナルド・ローズ
出演 ヘンリー・フォンダ、マーティン・バルサム、リー・J・コッブ、エド・ベグリー、E・G・マーシャル
上映時間 97分
制作年 1957年
制作国 アメリカ
ジャンル 裁判、50's、モノクロ、密室劇 

 

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<登場人物>
1番陪審員・・・陪審員長。高校のフットボール・コーチ。
2番陪審員・・・1回目の投票では、無罪を立証できなかったのだから有罪という、確たる理由もなく有罪に投票した。
3番陪審員・・・マッチョタイプ。37人の従業員がいる宅配便の会社経営者。22歳の息子がいるが、ここ2年間は会っていない。傲慢。
4番陪審員・・・株の仲買人。汗をかかない、つねに冷静沈着な男。
5番陪審員・・・1回目の投票後の、有罪にした理由を説明する際に説明をパスした。容疑者の少年と同じ、スラム出身者。
6番陪審員・・・塗装工で、電車の線路わきで3日間仕事をしたことがある。
7番陪審員・・・セールスマン。今夜のヤンキース戦を楽しみにしている。投げやりな態度を11番に痛烈に批判される。
8番陪審員・・・ヘンリー・フォンダ。建築家。1回目の投票でたった一人、無罪に投票し、一石を投じる。
9番陪審員・・・爺さん。実は最初から少年には同情的で、2回目の投票で無罪に転向。
10番陪審員・・・大変な差別主義者で、かなり強い偏見の持ち主。自分の工場の経営が上手くいっていない。
11番陪審員・・・時計屋。最初は大人しめだったが、7番に対してきっぱりと批判する強さもある。
12番陪審員・・・広告業界に勤めている。一度無罪に投票した後、すぐに有罪に戻し、再度無罪に投票した。

 

*************** あらすじ ***************
18歳の少年が父親殺しで起訴される。その裁判の陪審員として集められた12人の男たち。6日間の裁判を終えた後、陪審員たちは少年が有罪か無罪かを話し合うべく別室へ移動する。早く切り上げて解放されたい11人は有罪に投票。ところが1票だけ無罪に票が入る。判決を下すには全員一致が必須。繰り返し審議を続けるうちに、次第に少年の有罪を示す証拠が覆されていき、1票、また1票と無罪の票が増えていく。夏のうだるような暑さの中、全員の意見が一致するまで審議と投票が繰り返されていく。
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言わずと知れた傑作、シドニー・ルメット監督の「12 ANGRY MEN」。乱暴にひと言で行ってしまえば「疑わしきは罰せず」「推定無罪」がテーマ。密室劇といえばこれ、という作品。そして名優の誉れ高い、ヘンリー・フォンダの代表作でもある。元は54年のTVドラマ。撮影は19日間。窓から見える景色は絵。舞台はたった一室。12人の男たちが机を囲んで、椅子に座っているだけの映画。

 

舞台劇に対して映画の利点といえば、カメラがどこへでも行けて、しかも編集が可能だから、場面転換が容易であることが挙げられる。舞台劇はシーンを変えようとすれば、背景やセットを変えるなどの舞台転換をしなければならないが、映画は例えばオフィスのシーンが続いた後で、海のシーンになり、次は自宅のシーンへ、などということが簡単にできる。地上のNASAの一室から、次のシーンで宇宙にだって行ける。それが映画ならではの魅力のひとつと言えるのだが、この作品はその利点をすぱっと捨てて、裁判所の一室から登場人物たちが全く動かず、100分もの間、観客の興味をもたせることに成功している。映画でありながら、まるで舞台劇のよう。


さらにこの作品は、いわゆる「セリフ劇」でもあって、12人の男たちのセリフのやり取りだけでスリルを演出し、しかもテーマが「冤罪」や「偏見」などの社会派。この映画が「映画脚本のお手本」とまで言われる作品になった所以だ。

 

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18歳の少年が父親殺しで起訴される。その裁判の陪審員として集められた12人の男たち。6日間の裁判を終えた後、陪審員たちは少年が有罪か無罪かを話し合うべく別室へ移動する。早く切り上げて解放されたい11人は有罪に投票。ところが1票だけ無罪に票が入る。判決を下すには全員一致が必須条件。11人はその一人を説得し始めるが、逆に少年の有罪を示す証拠が次々と覆されていき、1票、また1票と無罪の票が増えていく。夏のうだるような暑さの中、全員の意見が一致するまで審議と投票が繰り返されていく。

映画冒頭、第一級殺人事件にも拘わらず、裁判官までが、いかにもルーチンワークといった面持ちで、退屈そうにお決まりのセリフを読み上げ、頬杖をついて、まるでやる気が感じられない。陪審員たちも、今日は今年一番の暑さだというし、風邪もひいているし、エアコンはなく扇風機は壊れているし、少年はスラム街の不良少年だし、株の値動きが気になるし、今夜はヤンキース戦もあるし、少しでも早く帰りたいだけで、ひとりの少年の命がかかっていることを真剣に考えていない。

スラムに住む、しかも有色人種であるスラブ系の少年が父親を殺害したと聞けば、それだけで誰もが有罪だろうと考える偏見のなか、たった一人、8番だけが、他の11人に対して「無罪かは分からない。しかしたった5分で決めて間違えたくない」と主張し、決して諦めず、小さな疑問を提示し解き明かしていく。そのうちに、次第に皆が「本当に無罪なのではないか」と考え始める。

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この作品は最初「容疑者の少年は本当に父親を殺したのか」といった推理小説的な興味で観客をリードしていく。ところが、動機やアリバイ、トリック、目撃証言の信憑性などをひとつひとつ検討していくうちに、12人の男たちの傲慢や偏見、先入観、差別意識、さらには生き様までもがあぶり出されていき、簡単に誤った判断を犯してしまう人間の危うさや、冷静かつ公平に事象を見る難しさなど突きつけられるという、巧妙なプロットになっている。

これは賢いと思ったのは、ヘンリー・フォンダが2回目の投票を呼びかけるシーン。わずかに有罪の証拠がほころび始め、11人の中には無罪に傾き始めた人物がいることを見越した彼は、自分を抜かして11人で投票することを提案する。しかも今度は挙手ではなく、記名式で。結果、もし11人が有罪に投票するようであれば、自分も有罪に従う、と。これは凄い。もし8番も混じって12人で投票したら、8番は絶対に無罪票を投じることが分かっているわけで、例え他の11人がちゃらんぽらんな気持ちで有罪に投票しても、必ず無罪が1票入るから安心して有罪に投票できる。でも先ほど有罪に投票した11人だけで再投票を行えば、また全員が有罪に入れるかもしれないという緊迫感がでてくる。すると自分の1票の重さが変わってきて、より慎重に投票することになるわけだ。すごい心理戦。11人に責任を委ねたわけ。頭いいなあ、8番。しかもタイミングも絶妙。ここしかない。

もうひとつ重要なのが、2番陪審員が息子の話をするくだり。自分は息子のために彼を男にしてやろうと鍛えてきたが、ここ2年間音沙汰がない、と語る彼の表情は、愛する息子の愛し方に失敗したことを自覚しているが、認めたくないという、複雑な感情が滲んでいる。たった1~2分のシーンだが、これがラストへ向けての伏線になっている。

映画では結局、「有罪かどうか甚だ疑わしい」という結論であって、少年が本当に無罪なのかは推測の域を出ない。これは犯人探しの映画ではないのだ。

真実は分からない。それでも、時間をかけて話し合いを続けるうちに、一人また一人と、自分の怠慢を認め、思い込みや偏見を捨て、自分の弱さと対峙し、可能な限り真実に近づこうとしていく12人の姿は、頭脳を持った人間という稀有な生き物への希望、信頼を感じさせる、ハッピーエンドなのだ。

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【参考】ドラマでリメイクもされています ⤵ ジャック・レモンが出てる。