エムログ

古い映画感想ブログです。驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「オズの魔法使 (1939)」~自分には何かが足りないと思ってる人へ~

f:id:msan1971:20190220213941j:plain


題名 オズの魔法使
監督 ヴィクター・フレミング
制作 マーヴィン・ルロイ
原作 ライマン・フランク・ボーム 
出演 ジュディ・ガーランド、レイ・ボルジャー、ジャック・ヘイリー、バート・ラー
上映時間 101分
制作年 1939年
制作会社 MGM
制作国 アメリカ
ジャンル ミュージカル、アカデミー作曲賞、アカデミー歌曲賞

  

 『船や汽車では行けない場所、ずっとずっと遠く、お月様の向こう、雨の向こう、虹の向こう 空の彼方に、いつか子守歌で聞いた国がある。虹の向こう 空は青く、そこではどんな夢もかなう。星に願いを掛け、目を覚ませば、そこは雲の上。悩み事はドロップのように溶けてしまう。そんな場所に私はいるの。虹の向こう 青い鳥が飛んでる。鳥が虹を越えるなら、私にもきっと、できるはず』          (挿入歌「虹の彼方に」) 

 

40年代を代表する大スター、ジュディ・ガーランドの大出世作で、不朽の名作。MGMミュージカルの最高傑作のひとつ。全編を流れるミュージカル・ナンバーも傑作。監督のヴィクター・フレミングは同じ年に「風と共に去りぬ」を制作していて(信じられる?)、こちらでアカデミー監督賞を受賞している。

原作は、ライマン・フランク・ボームが1900年に出版した童話「オズの魔法使い」。原作の題名の送り仮名には「い」があるけど、映画版の正式な邦題には「い」はつかない。


***************** おはなし ***************** 
カンザスの農場暮らしのドロシーは、叔父さんや叔母さん、使用人たちに愛されながら生活していた。しかし地主のガウチさんは意地悪で、ドロシーが飼っている犬のトトを連れ去ろうとする。ドロシーはトトを守るために家出を決行。途中で興行師の「千里眼」マーベル教授と出会い、千里眼(水晶玉占い)で占ってもらうと、「あなたを愛している人が悲しんでいるよ」と言われる。我に返ったドロシーは農場へ急ぐが、そこへ竜巻が襲ってきてドロシーだけ取り残されてしまう。壊れた窓がドロシーに当たり、気を失って気が付くと、なんと家が竜巻に吹き飛ばされて空中を飛んでいた。窓からは同じように飛ばされたニワトリや牛、編み物をするおばあさんなどの他に、なんと自転車を漕ぐガウチさんの姿も見える。おまけにガウチさんは、箒にまたがる魔女の姿に変わってしまった! 家ごと墜落したドロシーがドアを開けて外を見ると、なんとそこには総天然色の不思議な風景が広がっていた。
**********************************************

 

f:id:msan1971:20190512135626j:plain


ドロシーは魔法の国で、魔女たちや住民のマンチキンたちと出会う。カンザスに帰りたいドロシーは、帰り方を聞きに魔法使いのオズがいるエメラルドの国へ向けて旅をはじめる。途中で、脳みそが欲しい案山子男、心が欲しいブリキ男、勇気が欲しいライオンと出会い、それぞれ願いをかなえてもらおうと4人はオズに会いに行く。

 

現実の世界は「セピア色」、魔法の国は「カラー」で撮影されている。魔法の国に到着し、セピア色のドロシーがドアを開けると、そこには総天然色の世界が広がる。


ドロシーは家に帰りたいだけだけど、他の3人は「自分には何かが足りない」と思ってる。案山子男は「脳みそ」、ブリキ男は「心」、ライオンは「勇気」。

「脳みそがわらで出来ているから自分には知恵がない」と言う案山子男。でも彼は喋れるし、丸太から降りる時もどうしたら案山子男を降ろせるか分からなくているドロシーに「考えるのは苦手だけど、クギを抜いてみたら?」と言っている。ユーモアのセンスもある。リンゴを調達するときは敢えて木に喧嘩を売って、木の方からリンゴを投げつけてくるように仕向けているし、脳みそはぜんぜん藁ではないのだった。


ブリキ男はがらんどうの胸を叩いて「鍛冶屋がぼくを作る時に心を入れ忘れたんだ 心があれば愛や芸術に胸をときめかすこともできるし、スズメや天使とも友達になれるのに」と言う。だけど、そう思うこと自体がすばらしくロマンティックで繊細なことなのに。


臆病なライオンも、実際ずっと臆病風に吹かれていたが、西の魔女に捕まったドロシーを助けに行くところでは急に頼もしくなっちゃって、一番先頭に立って夢中で険しい崖を上り、他の二人を引っ張り上げたりして、やれば出来るのだった。

 
みんな、自信がなかっただけなんだよ、と。賢い自分、優しい自分、勇気のある自分の存在に気が付いていないだけなんだよ、と。


実際、映画のラストでオズは3人に「君たちはもともと持ってるんだよ」みたいなことを言って、自信をつけさせるために目に見えて触れるトロフィーを渡す。案山子男は卒業証書を、ライオンには勲章を、ブリキ男には機械仕掛けのハートの時計を。


これ面白いなあ、と思った。人間はやっぱり「揺らぐ」生き物なんだなあ、と。そういう前提で書かれたシーンなんだなあ、と。

 

賢さとか、優しさとか、勇気とか、自信とか、そういうのってやっぱり目に見えないし、手で触れるわけじゃない。だから「ある」と思った次の瞬間「ない」と思うことなんて、しょっちゅうだ。私は賢いのかもしれないし、馬鹿なのかもしれない。優しいところもあると思うけど、冷たい時もある。勇気あったなーという行動が取れる時もあれば、気後れして引っ込んでしまう時もある。人間は一面的じゃないし、いつもそうだという保証なんてない。

でも。

誰かのお墨付きがあれば、そう思っていられる時間が長くなるかも。みんなが「頭いいね」ってしょっちゅう言ってくれれば「わたし頭いいのかも」って思えるし、「優しいね」って言われることが多ければ優しいんだろうし、「勇敢だね」って言ってもらえれば勇敢なのかもしれない。賞賛される、賞賛してあげる、って大事なんだなあ。

オズが物をあげているところも意味深。言葉だけじゃ、やっぱり揺らぐよ、ってことでしょう。手に触れるものが無いとね、と。部屋にトロフィーをたくさん飾っている人みたいに、時々取り出して眺めたり、なでまわしたり、賞賛されたという過去の自分を遠い目で見て、牛が反芻するように・・・・・・私は何も持ってないし、そういうの嫌だけど。


嫌だけど、それが人間ってもんかもしれない。

とはいえ・・・案山子男とライオンはいいんだけど、正直なところ私にはオズとブリキ男のくだりが、意味が解らなかった ( ゚Д゚)) なんなの。どゆこと。 


私が好きなシーンや登場人物はマーベル教授とのくだり。なんて優しいんだろう、と思う。 彼はいわゆるインチキ興行師で、「ヨーロッパの王族もご用達『千里眼』マーベル教授」と謳って水晶玉占いなんかしてる。訪ねてきた少女のドロシーを見て「家出だな」と察し、インチキ水晶玉占いをする。大人のマーベルはドロシーを家に帰さなくちゃいけないと考えて、水晶玉をのぞき込みながら「叔母さんは泣いているようじゃ。叔母さんが愛している誰かに心を傷つけられたのかもしれん。これは大変じゃ、胸を手で押さえてベッドに崩れ落ちたぞ」と言う。するとそれを信じたドロシーは「大変!家に帰らなきゃ!」と慌てて家に向かう。人生経験豊富なおじいちゃん教授は、なんでもお見通し。ドロシーを批判したり、説教したりすることなく、自然とドロシーが家に帰りたくなるよう仕向ける。こういう余裕のあるやさしさ、高度です。

 

f:id:msan1971:20190512135804j:plain

 
話は変わって、最初の竜巻の一連の演出っていうのは、一体どうやって撮影したんだろ。窓から見えるガウチさんとか、吹き上げられた家とかは合成だからいいとして、竜巻が襲ってくる遠景のシーンとか、風でいろんなものが飛ばされていくシーンとか、すごい迫力。本物感がすごい。 

f:id:msan1971:20190512135824j:plain


この映画全部スタジオ撮影でしょう。どうなってるの。魔法の国のセットの作り物感とはひどく対照的で面白い。まあこの作品から30年も後の「夢のチョコレート工場」も同じような作り物感が漂っていたから、なんだろう「夢の国はそういう作り」「流儀」「お約束」ってことなんだろうか(技術的なことかもしれないけど)。


そして小人のマンチキンたち。集めも集めたり、こんなに小人っている?と思う程。遠近法も使用していそうだし、子どもとかも混じっていそうだが、それでも恐れ入る、今では絶対に撮影できない類いのシーン。好きです。

 

f:id:msan1971:20190512135456j:plain