題名 無病法
作者 ルイジ・コルナロ
出版社 PHP研究所
出版年 不明
出版国 イタリア
ジャンル 健康
(節食の大切さに気付いている人たちにしても)
「我慢して長く生きるより、短くても好きなように生きる方が良い」などと言い訳している。食欲を律すると、いかに幸福な生活を送ることができるのかを、かれらは知らないのだ」
引用:ルイジ・コルナロ「無病法」
どうやら世の中には「食べない系の人たち」がいて、おおざっぱに分類すると3パターンぽい。
① 超小食の人
② 一日一食の人
③ 全く食べない人(水も食べ物も一切摂らないらしい)
私は「一日一食」だけど、コルナロは「一日一食」ではなく「一日二回、極小食」の人。
本書はコルナロが書いた小冊子(パンフレット)に、翻訳者の中倉玄喜氏が現代の最新情報をたくさん交えて大幅に加筆、補足し、コルナロの正当性を補強した構成。「講話」と題された4篇がコルナロさんの筆。
コルナロは15世紀半ばから16世紀半ばに生きたルネッサンス時代の人で、ヴェネツイア共和国出身。その家柄は4人の国家元首やキプロスの女王を出すほどのいいとこの出らしく、同時代にはレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロがいて、コルナロは彼らよりも有名人だったそう。享年102歳。
コルナロは貴族だから有名で当たり前、二人はただの雇われ画家ですからね。当然でしょう。
いいとこのボンボンにありがちな、若い時に親の財産で放蕩しすぎて体を壊し、45歳で医者に「死ぬよ」と脅かされてから「極小食」にした結果「超健康」になり、「102歳まで超健康で快活、そして長生きした」という体験談、極小食の勧めです。年を取っても元気いっぱい、死ぬ時も「午睡をするように」死んでいったと。
一度、周りにいろいろ言われたのでわずかに食事の量を増やしたら、病気がぶり返した、と書いてある。
乗っていた馬車が転倒して、かなりの距離を引きずられて全身打撲や傷を負った時も、特別な処置はせずに固定程度で完治したとも書いてある。それは「極小食」だからなせる技だと。
本によると、コルナロが実際に食べていたものは「パン」「卵の黄身」「少しの肉」「スープ」 を合計約350g、ワイン400cc。
これを2回に分けて摂っていたとのこと。すると1回の食事が175g+200ccのワインになる。
子どもの茶碗一杯のご飯が100g(一合が350gらしいので3分の1以下)。コンビニのおにぎり1個が110g。マクドナルドのハンバーガーが109g。卵の黄身は20g。インスタントのカップスープ1杯が200g(具にもよるが)。
すると、コンビニおにぎり半分で55g、カップみそ汁は半分で100g、卵の黄身20gで・・・もう175gだ! 「少しの肉」の入る余地がない! カップみそ汁を1/3にするか? いや、コルナロさんは「パン」だから、食パン6枚切り1枚が63gらしいから、おにぎり半分の代わりに食パン半分にしよう。
【結論】食パン6枚切り半分 31g、カップスープ半分100g、卵の黄身20g、焼肉一切れ15gだから1~2枚か。それを1日2回。
うん、確かに少ない。
だけどコルナロは、350gとかその種類とかは、コルナロにとってそれが一番良いのだと言っていて、みんなも350gにしましょうとは言っていない。自分で自分に合った食べ物をよく見極めましょう。そしてその食べ物を「できるだけ少なく」摂取することが最も重要、と言っている。
「質よりも量の制限が大事」と。
できるだけ、できるだけ少なく、体が必要とする最小限を狙う感じ。
もしかするとコルナロが書いている部分は、いわゆる体験談でしかないのかもしれない。
それに、コルナロはすごく楽観的なのか、自画自賛の無邪気ぶりがすごくて、
「なんの助けもなく馬に乗ることが出来るし、階段はいうまでもなく、山にもやすやすと昇ることができる。気分はいつも陽気で、心が曇るようなことは一時もない。生への倦怠や生活の疲労など、私にはまったく無縁である。一日の内かなりの時間を見識ゆたかな人びととの間の楽しい会話で過ごし、それ以外のときには、良書を友としている。そして読書を味わった後は、ペンをとっている。執筆こそ世の中にもっとも役に立つことだと思っているからである。
以上のようなことを、私は高貴な都市パドヴァのもっとも美しい地区にある快適な邸宅において行っているのである。ちなみに、私はこの邸宅のほかに、自分が造った庭園をいくつか持っているが、そのひとつ一つには小川が流れていて・・・(略)。「同、講話(一)より」
眠りも快適である。どこであろうとすぐに熟眠でき、しかも見る夢はすべてどれも楽しいものばかりだ。
「同、講話(一)より」
私の声は人生で今が一番大きく、非常に朗々としている。
「同、講話(一)より」
私の声はたいへん力強く、また非常に甘美です。
「同、講話(三)より」
私は、自分の死について、このような平和な臨終を確信しています。
「同、講話(三)より」
80代で、一事が万事、こういう感じ。ゼロか100。ぐいぐいアピールしてきて、さすがイタリア人。日本人とは違うなあ。言いきっていて全然ブレない。
でもこのキャラクターが、「かわいいけど、ちょっと大げさかも」という気が、しなくもない。
だって、コルナロは若い頃の不摂生で「生きる望みを絶たれるほど」とか言ってる割には、書いてある自覚症状がしょぼいんだよね。「胃、痛風、微熱、のどの渇き」くらいしか書いていない。
まあご愛嬌ということで、「無邪気だなあww うらやましい」って思って読んだけど、実際、コルナロの講話だけで構成されて出版されていたら、何度も読み直そうとは思わないかも。やっぱりエビデンスがないんだよね。
そこで活躍するのが現代の客観的データを担った解説部分。かなり具体的だし、読みごたえがある。
科学的根拠や、過去の偉人の同様の発言などを引用して、コルナロさんの「極小食」という選択が、人間の体にとっては最善である証拠をいろいろと並べて紹介してくれる。
例えば、消化に関わる問題として、
「消化には莫大なエネルギーが必要である。つまり、消化は内臓にとって大きなストレスなのだ。そのため、内臓の休息に必要な睡眠時間は、およそ食べる量と回数とに比例する。
「同、解説(一)より」
これは実感として分かる。私が「一日一食」にしたばかりの頃は、なんか嬉しくってかなり量を減らしていたのだが、食べると心臓の鼓動が早くなって「ドキドキドキドキ」してるのを感じて、「超負担かけてる!」って思った。
砂糖は、食べると「胃が止まる」らしい。
それで私は、「お腹がすいているときに少しだけ食べると逆に強い空腹感を感じるけど、甘いものを食べた時って空腹感がなくなる。それは満腹感とかじゃなくて、胃が止まってるだけなんじゃないの?」って理解した(間違ってるかもしれないけど)。
あと興味深かったのは、太平洋戦争で長崎に原爆が落ちた時、現地の医者が「砂糖は厳禁。放射能には塩がいい。玄米にたくさん塩をつけてむすべ。塩辛い味噌汁を作って食べさせろ。砂糖は絶対にダメ」と言って実行させ、自分の病院の職員から一人も犠牲者を出さなかった、というくだり。
極小食とはテーマは違うけど、これはこれで印象深いエピソードだ。
これは欧米でも知られることになって、チェルノブイリ原発事故の時には日本から援助物資として味噌が送られたらしい。知らなかった。
こういった解説部分がコルナロの生き方の正しさを裏付け、コルナロの生き方が、解説部分の正しさを裏付けるというすばらしい相乗効果。
とはいえ、解説部分だけで構成されていても、人間性に欠けるから、心に響いてはこないだろう。なんかお勉強している感じがしてしまう気がする。
やっぱり、コルナロさんのキャラは親しみやすい。
それに「極小食でも、いや極小食だからこそ、健康で活発なまま長寿を達成した実践者である」という事実が重要なのだと思う。
私が自然と一日一食になって間もなく4年になるけど、やっぱり気が付くと徐々に量が増えてしまっていたりする。だから時々、2年置きくらいには読み返そう。