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古い映画感想ブログです。驚くほど忘れてしまうので備忘録として。

【映画】「ベン・ハー(1959)」~だけどイエスさまのおはなし~

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題名 ベン・ハー  
監督 ウィリアム・ワイラー
脚本 カール・タンバーグ、ゴア・ヴィダルほか
原作 ルー・ウォーレス「ベン・ハー」(1880)
出演 チャールトン・ヘストン、スティーブン・ボイド、ジャック・ホーキンス
上映時間 212分
制作年 1959年
制作会社 MGM
制作国 アメリカ
ジャンル 宗教、スペクタクル、50's、アンドリュー・マートン


1907年(15分作品らしい)と、1925年のラモン・ノヴァロ版に引き続いての3度目の映画化作品。アカデミー賞を11部門取った事でも知られる。「ベン・ハー」の映画化では最も有名な作品だし、スペクタクル映画界的にも最も有名な作品のひとつ。私は1925年ラモン・ノヴァロ版は観ているが(これについてはまた後日)、1907年版は観ていない(ぜひ観たいんだけど)。

 

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1925年版との簡単な比較としては、内容はほとんど同じだが、作品が長い分(インターミッション付ですから)丁寧な作りになっていると感じた。懇切丁寧、詳細という感じ。特にメッサラは、1925年版だとほとんど人間性には踏み込まれず「単純に悪役」って感じだったが、今作はもっと描き込まれていてやっぱり丁寧。母と妹との関係の描き方もそうだし、やはり人間ドラマに力を入れたあたりが1925年版より80分も長くなっちゃった所以でしょう(とはいえ、1925年版だって140分あって十分長)。

長いけど「なんだよ、長いなー」っていう後ろ向きな感じではない。6分30秒ある映画冒頭Overture部分も、音楽が流れてるだけなのに、「長くてうんざり」ではなく、むしろ「品が良いな、格式が高そうだな」って前向きに捉えながら待てる感じ。そのあとMGMのライオン・ロゴがでてきて「いよいよ本編が始まる!」って嬉しくなる。

 

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いつのことだったか(遠い目)一番最初に見た時、チャールトン・ヘストン(ジュダ・ベン・ハー)が主役だと思って観たから、観終わって「??? これは・・・ベン・ハーの物語じゃないの? なんかイエス様の映画みたいになってるじゃん。へんなの」って思ったけど、改めてみるとこれはむしろ「イエス・キリストの物語」なのね。初見では分からなかったよ。

私は原作は読んでいないけど(持ってるけど)、原題を見ると「Ben-Hur: A Tale of the Christ」となっていて、やはりキリスト物語なのだった。納得。

イエスが出てくるシーンは非常に少ないけど、冒頭からラストまで、要所要所にさりげなく出てくる。物語はジュダ目線で進んでいくが、途中でジュダはイエスと会ったり、ニアミスしたりする。その時私たちは「あ、イエスは今ここか」みたいに、イエスの足跡を確認できるようになっている。「あ、生まれたんだな」からはじまって、「お、自覚出てきたな」とか「ははあ、道を探してるな」とか、「覚醒したな」とか、「布教活動がうまく行きはじめてるな」とか、「問題になってきてるなあ」とか、「いよいよかあ」とか。

 

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この、イエスの描写のさりげなさは、例えばジュダが奴隷として連行されるシーンでイエスはジュダに水を与えるのだが、手と後姿だけしか映らない。山で布教しているシーンでも、超遠方に立っているのが分かるだけ。イエスを見せずに、イエスを見る者の演技をじっくり見せて、その演技を通してイエスの神性を表すという、うまい演出。(ついでに言えば、メッサラの部下が地下牢にジュダの母妹を探しに行き、二人がライ病に侵されていることが発覚するシーンでも、同じ演出方法が使われている。二人を映さずに、二人を見た部下たちの表情で病気の凄まじさを想像させている)。

イエスが出てくる、あるいは存在が描かれるシーンを抜粋しておく。
① イエス生まれる(東方の三賢人が祝福)(前篇 0:08:25頃~)
② イエスは「父の仕事を手伝う」と言って、父ヨセフの仕事を手伝わない。(前篇 0:15:00頃~)
③ ジュダが奴隷として連行される際イエスの家の前を通りかかり、イエスからじかに水を与えられる。(前篇 1:01:05頃~)
④ 説教のため、人々が集まる丘に立つイエス。(後篇 0:45:40頃~)
⑤ 裁判からゴルゴダの丘まで。(後篇 1:04:00~)
たしかこんなもんか。

 

ところで家業の大工仕事を手伝わず、「父の仕事をする」と言って山に行ってしまう息子を持ったヨセフの心境やいかに。

まあ生まれ方が「ああも派手」だから、ヨセフも別に気にしないのかな。なんてったって「処女解体」なのだから、マリアの腹が大きくなっていくのは自分のせいではないとヨセフは分かってただろうしなあ。おまけに生まれる時にはお星さまが厩を照らして祝福し、東方の三賢人がうやうやしく贈り物を持って遠路はるばる駆けつけるという仰々しさ。

でも映画でのヨセフの演技というか演出が、ちょっとヨセフ寂しそうなんだよね。もし「俺の息子は偉いんだぞ。ちょっと他のやつとはレベルが違う」って思っていれば、もう少し自信持って言いそうなのに、映画ではなにかこう腑に落ちていないというか、息子イエスの「父の仕事をする」発言や行動に疑問を持っているように見えるんだよね・・・「俺にはなんかよく分からないけど、これでいいんだろうな。自分が凡人で、ちょっと寂しいな」みたいな感じかな。

そこちょっと謎 (+_+)ワカランナー。ま、ジュダに水をあげる時は家具か何か作ってたんで、手伝ってもいたのかな。

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有名な海戦シーンとか戦車レースシーンとか、とにかく見どころの大変多い映画です。

ガレー船同士の戦闘の場面は25分位続くが、ミニチュアとは思えない迫力。

でも個人的には戦闘シーンそのものではなく、そこに至る前の船底の奴隷たちが漕いで漕いで漕ぎまくる、「ガレー船システム」とでも言うべきシーンが迫力だった。木槌を打ち付ける音のリズムに合わせて漕ぐんだけど、ぐんぐん漕ぐスピードが上がっていく。スピードが上がるにつれて脱落していく奴隷たち。それを冷徹に観察するアリウス。まあ言ってみれば、大勢の裸の男たちが船を漕いでいるだけなのに、すごい迫力。丸3分間、漕いでるだけ。なのに惹き込まれる(裸だからじゃないよ)。


戦車レースの迫力の凄さは・・・「これ、誰か死んでるよね」っていう感じ(実際は誰も死んでいないらしい)。

でも、戦車レースのシーンに関しては誰もが言及すると思うし、やっぱり個人的にはレースが始まる前のシーンを強調したい。

広い競技場を、4頭立てのチャリオットが9騎、ぐるっと一周するシーンをじっくりと時間をかけて見せていくあたりがすごく豪華なので。時間的には3分間ほどを費やしているけど、現代ならこういうシーンは無駄だと思われて用意されないのではないかと思われる。「豊か」とは、こういうことを言うんだろう。「豪華」とか「豊か」というのは、裏を返せば「無駄」だから、こういうことに時間と労力と莫大な金をかけるということが「文化的豊かさ」なんだろうと思うなあ。白人ってこういうの得意だよね。城とか宮殿とか、カソリック系の教会とか。金のかけ方がハンパない。好きです。

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監督のウィリアム・ワイラーは、前作にもスタッフのひとりとして参加していて、両方に携わった唯一の人らしい。なるほどねー。両方見ると、1925年版に参加していたというのも分かる。だってやっぱり、ほとんど同じ内容で流れだもの(悪口ではありません)。1925年版はサイレントでモノクロだし、トーキー&テクニカラーの時代になれば当然トーキー&カラーでも撮っておきたいって、スタジオが考えるのは当然。そして大成功している。

MGMにとっての「ベン・ハー」ってすごく重要な映画で、1925年ラモン・ノヴァロ版は1924年創設のMGMが翌年放った超大作で、制作には当時の金額で390万ドルを投下してしまうという、すごい経営判断。できる?普通。しかし大ヒットして後のMGMの基礎を作ったと言われている映画。

今作の1959年チャールトン・ヘストン版も、経営不振に陥っていたMGMを救った作品と言われているし、MGMの大作は結果を出していますなあ。

しかし時代が1960年代に入っていくとミュージカルも大作も姿を消していき、ニュー・シネマ的な低予算映画が主流になっていくから、MGMの時代は終了するのでした。仕方ない。

しかし改めて思うけど、この映画の監督ってウィリアム・ワイラーなんだよなあ。「そっか、ウィリアム・ワイラーなんだ」って思って、すぐ忘れちゃって、久しぶりに観た時に「あ、そうか、ウィリアム・ワイラーなんだった、そうだった、そうだった」って改めて驚く。

ワイラー監督と言えばオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」「おしゃれ泥棒」とか、バーバラ・ストライザンドの「ファニー・ガール」とかがパッと思い浮かぶから、こんな「ベン・ハー」みたいな映画も撮るんだなあ、とびっくりする。この幅の広さってすごい。信じられないなあ。未見だけどワイラーって文芸作品の人でもあるらしいから、軽めのロマンス映画からスペクタクル巨編から人間ドラマまでかあ。それだけ人間の幅が広いってことなんだろうなあ。

映画の最後の方、らい病の母妹を連れてジュダがイエスの元へ行くシーンで、盲目の乞食にお金をやるシーンがあるんだけど、母妹がらい患者と気づいた人々が叫びながら石を投げるのを聞いて、このじじい、ジュダがお金を入れた器をひっくり返して地面に捨てるんだよね。「おい!じじい!」って思ったよ(笑)。そういうシーンをさりげなく入れる演出、好きです。

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噂に聞く「ジュダとメッサラの同性愛説」ですが、要は「ジュダとメッサラは昔、両想いの同性愛カップルで、久しぶりに再会したメッサラはそれを蒸し返そうと意気込んでたのに、ジュダは冷たくあしらった、それで因縁の対決と化していった」という映画だというやつ。

この設定を入れ込んだ張本人が、脚本家のひとり、ゴア・ヴィダル。「ベン・ハー」の脚本には5人が関わっているらしいですが、諸事情あってカール・タンバーグだけがクレジットされたらしく、彼はクレジットされていません。

DVDについているメイキング映像でじっくり語られているけど、ヴィダルは自分がゲイだから、張り切ってゲイ映画にしようとして、ワイラー監督に「これはベン・ハーなんだぞ」って注意されたと。要するに「イエスさまの映画なんだぞ」って意味でしょう。なのに「大丈夫、わからないように書くから」って言って、ジュダとメッサラの痴話喧嘩として書いた、と言っている。

ところで今回知ったけど、「カリギュラ」の脚本もヴィダルだった。はーなるほどねー、あーねー。そしてゴア・ヴィダルって、映画に出演もしているのね。「ガタカ」の航空宇宙局長役で出演しているらしい。そういう風に考えてしまうと「ガタカ」もちょっとゲイっぽい映画でもあったような気がしてくるから不思議だ(ヴィダルは出てるだけだけど)。今度見返してみよう。

 

で、映画は実際にゲイっぽいのか。

うーん、私にはよく分からなかった。今回は事前に知っていたから、勤めてそういう目で見てみたけど、それでもそんなに思わなかったなあ。私が女だから分からないのかもしれない。

とはいえ「言われてみれば・・・」と思うところは無くはない。無くはない、というかあるので、それを書いておこう(あるんじゃん)。

まず、やっぱり最初のジュダとメッサラの再会シーンかな。メッサラはすごい傲慢で、自信家ぶりがすごくて、「少数のユダヤ人の命が何だと言うんだ?」とか言っていた。言い切るなあ。支配者層とはそういうものか。だけどメッサラはジュダの事は大好きなんだよね。ジュダがユダヤの王だから利用してやろうとかそういう欲得ではなく、本当に好きで、「一緒に出世しようぜ!」「お前もこっち来いよ!二人で皇帝の横に立とうぜ!」みたいなノリで誘ってる。それをジュダは「お前何言ってんの?裏切るわけないじゃん」って言って断る。メッサラ、好きなのにフラれて超怒る・・・という風に見えなくはない。

で、最後の戦車レースの後のメッサラ死にゆくシーンは、もっとそれっぽく見える。瀕死のメッサラは、「ジュダは来る!あいつは必ず来る!!」って言って手術させないんだけど、もう命がけで待ちわびるっていう感じ。今すぐ片脚を切断しないと死んでしまうって言ってるのに、「片脚で奴と会うわけにはいかん」とか息も絶え絶えに言っちゃって、一目見ないと死ねない感じ。愛憎渦巻くゲイ・カップルの壮絶な別れのシーンだと思うと、ちょっと怖かった。(メッサラ、死んだよね? 最後、医者が布をかけてるから、手術はしないという意味で、だから死んだんだと思うんだけど)

しかし権力者同士が痴話喧嘩すると、家族は地下牢に閉じ込められちゃうし、奴隷にはされるし、ガレー船漕ぎはやらなくちゃならないし、戦車レースで命を賭けなくちゃならないし、落馬して死ななきゃならないしで、ドラマチックになるにも程がある。人生の浮き沈みがすごい。


でも、最も「これがゲイ映画である一番の証拠か?」と思ったのは、戦車レースでジュダの隣に現れる従者の少年でしょう。これ、必要?(笑)
物語には何の関係もない少年が、レース間際になると突然現れてやたらと目立つんだが、これが美少年なんです。無駄に。壁の花でしかない役なのに妙にクローズアップされていて、ジュダも結構目線送ったりして、美少年「ご主人様がんばって♡」みたいな。で、レース後にはジュダが肩叩いて抱き寄せたりなんかして、で美少年、超嬉しそうで「ご主人様おめでとう♡」みたいな(笑)。最後しっかり単独でアップになったりなんかして。他の騎乗者の従者は別にごく普通の男たちなので、これはやけに意味ありげに目立ちます。これ見ると、監督もそのつもりでキャスティングしたな、と思わざるを得ないな。うん。

ま、だから何だという話ではないですけどね。一応、見る人が見ればそういう映画でもあるよ、という話でした。


しかしメッサラ役のスティーブン・ボイドはこの役にぴったり。とにかく鼻の穴が立派。いかにも傲慢そうな、強欲そうな、すべてを吸い込みそうな鼻の穴で、この鼻の穴で配役が決まったと思うな、私は。

この映画のDVDには、メイキングが58分も収められていて、上記の撮影秘話はもちろんのこと、原作にまつわる秘話、舞台版の秘話、1907年版の制作秘話、1925年版の制作秘話も、映像と共にふんだんに盛り込まれていて、大変おすすめです。


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