○前田雄二『剣よりも強し 菊竹六鼓の生涯』読了
○都甲幸治『教養としてのアメリカ短編小説』読む
2024/12/24(火)晴れ 朗報。1週間出ず困っていた便秘。浣腸デビューはしなくてすみそう。ちょっと怖いと思っていたからよかった。
便秘で死んだ女性がいるってネット動画を見たことあるから、なんて恐ろしいんだろうってトラウマみたいになってる。
前田雄二著『剣よりも強し 菊竹六鼓の生涯』が読み終わった。その覚書。いくつか印象に残った部分を抜粋しておく。
まず、20世紀前半の日本はぐんぐん軍国主義化していって、軍部が巨大な権力を持って、政治がそれを止められず軍部の暴走を許してしまった。軍人は戦争してなんぼ、戦争して出世する生き物だから、あっちこっちでドンパチやって、日本は泥沼に入っていく。
そんな時代に菊竹六鼓や桐生悠々は、言論という武器を使って果敢に戦った日本屈指のジャーナリストだ。みるみる全体主義化していく状況で、猛烈に言論弾圧をしてくる軍部や政治と闘うのは余程の強い意志と思想がなければ続けられるものではない。
でも具体的に軍部がどのように暴力的だったのかというと、私はあまり意識していなかったことが本書を読んで分かった。いままで映画や漫画、本などで、威張り腐った軍人が出てくるシーンはよく見たけれど、それは今でもたまに見かける威張る男の延長線上という感じで、割と想像の範囲内でイメージしていた。
ところが本書を読むと、思った以上に圧力していた。いくつか抜粋しておく。
五・一五事件で犬養毅が暗殺され、福岡日日新聞で痛烈に軍部を批判した六鼓は軍部の猛烈な反感を買う。そしてその軍部が福岡日日にかける圧力がすごい。
「地元軍部は、あらゆる方法で新聞社に圧力を加え、菊竹六鼓を脅迫し、爆撃機を新聞社屋上空に乱舞させて、福日の主張を曲げさせようとしたが、、、」
「たてつづけに鳴る電話からは、噛みつくように軍人の声が流れ、(中略)その声が応接間から廊下に流れ出るような勢いで呼号し、社説の取り消しを要求した。そして要求を容れない場合は、新聞を発行停止処分にするとか、あるいは実力を用いて新聞の発行を不可能にするとかいっておびやかした。」
軍服姿の男に恫喝される。怖い。
「将校たちは直接新聞社に押しかけてくる以外に、強烈な文句の脅迫状をつぎつぎに投げこんでいった。」
「福日が謝罪しないならば、隊伍を組んで新聞社を襲撃すると、、、」
「猛烈な福日攻撃をやり、講演会で福日を焼き打ちすべしとあおりたてた。」
「軍人の荒々しい声で、すぐ謝罪しなければ、新聞社を爆撃するとの通告が繰り返された。(中略)すると昼ごろになって、脅迫は事実となって現れたのである。軽爆撃機の変態が、まっすぐに福日社屋の上空に飛来して、変態を解くや、一機ずつ社屋めがけて急降下して、爆弾を落とすような体制を示した。(中略)もし降伏しないならば、本当に爆弾を投下するぞとのおどしが述べられたが、、、」
しかし六鼓は、
「社がつぶれるかどうかの問題ではなく、国がつぶれるかの問題なのだ」
と言った。
六鼓だけでなく福日の社長も、
「君がたのように長い間、社を育ててきた人や、幾多の先人にこそ、むしろ気の毒であるが、正しい主張のため、いま、もし本社にもしものことがあっても、それは現在社長たるわたしには光栄である」
と言った。
福日は元々反骨精神の強い新聞だったらしく、
「この新聞の株主は経営上の問題にいっさい口出しをせず、また社長は編集に関することは、すべて主筆、編集長に一任して、決して干渉しないという伝統が何十年かの間に固まっていた」
とあり、前の社長も常々、
「福日は政友会の機関紙ということになっているが、それは権利であって、義務ではない。自由党以来、政友会の主義政策が国家国民のためになると思うから代弁するが、わるいと思う場合は、決して弁護の必要はない。」
と言っていた。
六鼓個人の資質だけでなく、会社にそういう土壌があったというのは頼もしい。
六鼓語録
「暴力団的思想とは、何ら義務を伴わざる権利思想の病的発達である。他人の立場如何を顧慮するところなき主義的思想の異常なる発達である。この病的権利思想にもとづき、傍若無人の主我的思想によって、いわゆる「徹底的にやっつける」という態度そのものが、すなわち暴力団的思想である」
これはネットなどで身勝手な正義を振りかざす人で溢れている現代にも通ずる。LGBTQ的な発想も同じ。彼らは暴力団的思想の持ち主だったのか。