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割と自己流で生きています

【冠】もう少し日本政府を信じたい気持ちがある、という話

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mです。

最近は日本の行く末を案じていて、もちろん自分の行く末も案じるあまり、くっそ古い映画の感想なんか書いてる場合じゃないような気がして映画を見る気も起らず、本ばっかり読んでおります。


日本の行く末が不安だなあと思う、その ”不安の種” はもちろん色々あるのですが、筆頭はやっぱり ”冠” と ”冠予防薬” と ”冠予防薬旅券” の行方です。

私は今のところ ”冠予防薬” を打たない選択をしていて、できればこのまま打たずにのらりくらりと済ませてしまいたいと考えているのですが、そのことによって世間様からの重圧もひしひしと感じておるわけです(といっても身近な人からではなく、主にメディアからの情報による重圧ですが)。

といっても別に私は ”反予防薬” だというわけではなく、最初はただ単に直感的に「これヤバいやつなんじゃないかなあ」という本能です。

元々天邪鬼な性格というのもあるのですが、今回のこの予防薬は、

1)マイナス70℃とかなんとかいう温度で運ばないと成分が壊れる

とか、

2)自転車で運ぶとその振動で成分が壊れる

などと言われていて、それを聞いた私は「ちょっとデリケートすぎやしませんか。そんな繊細なものを体内に摂取するのはごめんこうむりたい」と思ったのです。だからしばらく様子見たい、と思っただけなのです。


ですが、この ”冠病毒流行” が始まってから、ずっとなんとなーく思っていることもあるので、今回はそれを書いてみたいと思っています。

同じようなことを誰かが言っているかもしれないのですが、それを私は知らないので(TVも新聞も一切見ないですし)、その方たちとは全く関係なく、私個人の妄想です。

なんのエビデンスもない、ただの私の妄想なので、その辺をご理解いただいたうえで、お読みになる方は読んでください。



ここで表題に関係してくるのですが、私が ”冠予防薬” を打たない選択をしている理由の一つに、

「私には未だに日本政府に対する信頼が、わずかとはいえ残っています。もっと正確に言うと日本政府というよりも、日本人の底力のようなものを未だ信じているところがあるのです」

という、日本民族に対しての期待のようなものがあるのです。


具体的に言うと、冠病毒が話題になり始めた2020年の冬だか春頃、中国武漢からの旅行者を水際で防がなかった政府のお粗末さが大きな話題になっていました。

それから旅客船をめぐる騒動とかもありつつ、それでも日本政府はあまり積極的な対策を取らずにいたこと、検査キットの導入に消極的だったこと、緊急事態宣言も消極的だったことなど、ぱっと思いつくだけでも日本政府の対応が「ダメダメ」という証拠はたくさん思い当たります。

でも私は、その後の日本での冠病毒の感染者数や死者数を見れば「大した病毒ではない(日本人にとっては)」と思わざるを得ず、すると私は「日本政府は実は大したことはないことを知っていたのではないか」と思ってしまうわけです。


メディアが恐怖を煽って国民を焚きつけて、真に受けた世論が騒ぐから仕方なく色々やっているけれど、本当は(日本人にとっては)大した病毒ではないことを知っていたから、武漢からの旅行者も阻止しなかったし、検査キットもあんまり乗り気じゃなかったし、緊急事態宣言も乗り気ではなかったのではないかしら、と思ってしまうのです。



そして今年(2021年)に入ってからも、”冠予防薬” を入荷した入荷したと言いながら、なかなか接種の準備が進まずグダグダだったのも、「実は政府は冠予防薬をあんまり国民に打たせたくないのではないか。だって今まで日本は予防薬に限らず、外国からの薬を日本で認可するとき、海外ではありえないほどの慎重さで、時間をかけて認可したり、時間ばかりかけて認可しなかったりしていて、なぜ日本で認可しないのかとデモが起こるほど慎重だったわけだから、今回の冠予防薬も本音のところでは国民に打たせたくなくて、それで馬鹿なふりをしてモタモタしているのではないか」と思うわけです。

白人様が「予防薬を買え」と言ってくれば買わないわけには行かないから買うけれど、それを打つかどうかはまた別の話。

衰えた滅びゆく日本のふりをして、モタモタ時間を稼いでいるうちに白人たちによる壮大な臨床検査の結果が出て、「やっぱり予防薬を打っても感染する」とか「大した効き目がない」とかいう結果が出れば、日本人に打たなくてすむなあ、「めちゃくちゃ効果ある」という結果が出れば、それはそれとしてOKだし・・・などと考えているのではないかしら、と。

五輪も本当はもうやりたくなくて、五輪も予防薬も、グズグズしてやり過ごせないかなあ・・・と思っているのではないかしら、と。


ところが結局五輪をやらなくてはならない羽目になり、五輪をやるのであれば外国人もたくさん入ってくるし、白人メディア様もうるさいしということで、国民に予防薬を全然打たせずに開催するわけには行かないので、腹をくくって急に巻きで接種をし始めたのではないかしら。

「打たせるしかない」となれば、医療従事者を後回しにするわけにはいかない。たぶん打った途端に大勢死ぬなんていうことはさすがにないだろうから、本当は嫌なんだけど医療従事者を最優先にせざるを得ず、

次に「何かあっても諦めがつくし子供も産めない高齢者」を、「重症化リスクが高いから」という理由で二番目の摂取対象にしたのではないかしら。

そんな風に、ちょっと思ったりしていました。



そうしたら!

あと数日で五輪が始まるという開幕直前、「予防薬が足りなくなっちゃったので、一般接種の申し込みストップ」が始まったのです。

その時私は、「やっぱり政府は打たせたくないのでは」という思いを強くしました。

だって五輪開催前に全国民に摂取するくらいの意気込みだったのが、五輪が始まり、もう間に合わないことが分かった途端、それも高齢者はあらかた打ち終わって、いよいよ大事な「若者から50代とかの働き盛りで、子供も産んでもらわなければいけない一般社会人の接種」が本格的に始まるかというタイミングで、「予防薬が足りなくなっちゃって、次の入荷も数か月先」だっていうんですよ。


ずいぶん都合のいい絶妙なタイミングで足りなくなったじゃん。やっぱり、政府は本当は「嫌」なんじゃないの。


やっぱり日本政府はわざとモタモタして時間を稼いでいるのではないかなあ。

日本人にとっては大した致死力でもない病毒のために、人類初の得体のしれない予防薬を全国民に接種させるなんて、こんなナンセンスな話あるかしら。

4,000万回分どっかいっちゃった、という会見をやっている政治家たちの真剣味のなさを見ると、やっぱわざとなんじゃないかという気持ちがむくむく出てくるのです。

そうやって時間稼ぎをしているうちに、欧米での接種率や効果、デメリットとか、たくさんのデータがそろってきて、予防薬旅券のようなものの取り扱いとか、どのくらい全体主義化していくのかなあとか、そういう世界の動向が具体的に見えてくるのを待っているのではないかしら。

なんならモタモタしているうちに、うまい具合にこの騒動が収まってくれないかなあ、なんて。



私はたぶん、まだ日本政府を信じてるんだなあ。日本政府を信じているし、日本人を信じているし、日本民族みたいなものをまだまだ信じているんだな、と思います。


私は日本政府には、そのくらい狸であってほしいのです。馬鹿なふりしてのらりくらりと時間稼ぎして国民を守る、それくらいの狸であってほしいのです。


予防薬の接種を希望しない私は、ここ最近今までにない危機感を感じているので、今回は私の妄想を書いてみました。


日本政府と日本の人たちを信じてる。きっと全体主義国家になんてならないよね。ほんと頼む。私から自由に生きる権利を奪わないでください。

 世界の人もほんと頼む。負けないでくれ。

 



2021年9月9日 追記

あれから一か月が経ちました。”冠予防薬旅券” 改め「”ワ”・検査パッケージ」を強引に推し進めようとしているところを見ると、どうやら私の妄想決定のようです。もうめちゃくちゃです。このままご臨終か、日本。残念!