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【映画】「郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942)」 ゲイによるゲイのための胸アツなゲイ映画

おすすめ度 ★★★★★

題名 郵便配達は二度ベルを鳴らす(Ossessione)
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
脚本 ルキノ・ヴィスコンティほか
原作 ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』1934年
出演 マッシモ・ジロッティ、クララ・カラマイ、ファン・デ・ランダ、エリオ・マルクーゾ
音楽 ジュゼッペ・ロゼーティ
上映時間 135分
制作年 1942年
制作国 イタリア
ジャンル 犯罪、ドラマ、モノクロ


 

 

 

映画の概要

あのルキノ・ヴィスコンティの監督デビュー作。

映画の原題は『Ossessione(邦題:妄執)』。

映画の内容から言って、原作はまぎれもなくジェームズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』なのだけど、どうやらケインの許可を取らずに映画化したらしく、さすがに原題を出すわけにはいかずこの題名になったんだとか。

で、公開した途端にどこかから怒られて数日で公開中止になり、ほとんどオクラになってしまった。

アメリカで公開されたのはなんとヴィスコンティの死後である1976年だし、日本でも1979年にようやく公開が叶うので、ずっと「ヴィスコンティ幻のデビュー作」として扱われていた様子。

ちなみに日本では原作と同じ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のタイトルで公開されている。

1942年といえば、イタリアはまだイタリア王国の時代。しかも第二次世界大戦中。イタリアはドイツや我が大日本帝国と一緒になって、枢軸国として米英などと猛烈に無理して闘っている真っ最中。

混乱に乗じてバレないと思ったのかしら。

それにしてもファシズム国家であるイタリアで、敵国であるアメリカの小説を映画化しようというだけでも結構アナーキーな話。内容も「人妻と流れ者の不倫、その末の殺人」ということで、戦時下においては異色な感じがする(日本じゃ無理そう)。

 

 

あらすじ

イタリアの片田舎で安食堂を経営するブラガーナとその妻ジョヴァンナの元へ、流れ者の男ジーノが現れる。ジーノとジョヴァンナはあっという間に惹かれあい、すぐに肉体関係を持つ。二人はさっそく駆け落ちを図るが、ジョヴァンナは気が変わり夫の元へ戻ってしまう。

一文無しのジーノは偶然出会った風来坊スパニョールと行動を共にしながら糊口をしのいでいたが、程なくブラガーナとジョヴァンナに再会しすぐに寄りが戻る。二人は車の事故に見せかけてブラガーナを殺害するが、ブラガーナ殺しの罪悪感からジーノは酒に溺れていき、逆にジョヴァンナは店の経営に没頭。二人の気持ちがすれ違い始める。

自棄になったジーノは町でひっかけたダンサー兼娼婦のアニータの家に転がり込み、自分はジョヴァンナに利用されていただけなのではないか、警察が自分を追っているのではないかと疑い始める。

実際、警察が二人を追っていた。ジーノは結局ジョヴァンナからは離れきれず、しかもジョヴァンナが自分の子供を宿っていると知り、二人は車で逃亡を図る。ようやく同じ未来を語り始めた二人だったが、トラックと接触事故を起こしてジョヴァンナは死んでしまう。ジョヴァンナの遺体にすがるジーノは、追ってきた警察に連行されていく。

 

De Luchino Visconti - Ossesione, Dominio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18744556

 

 

原作との違い

映画は原作と比べれば多少の違いはあるが、まぎれもなく『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の映画化だった。

原作と比べると結構端折ってるなという印象で、まず失敗に終わった一度目の旦那殺しがすっぽり抜けている。そして主人公二人の味方になる敏腕弁護士カッツが出てこない。だから二人の弱みを握ったカッツの部下ケネディ(だったかな?)も出てこない。


逆に原作にはいない、登場した瞬間「おや? こいつゲイなのでは」と分かる男、スパニョールが出てくる。

原作ファンである身からすると、見てて正直「スパニョールって必要?」と思ったよね。この役、必要かなあ。

別に殺人に絡んでくるわけでもないし、逃亡を手助けするわけでもなければ、ジーノが相談するっていう感じでもなくて、ただジーノと一緒にいるだけ。この役、原作にはないのだし、ストーリー上はいらなかったのではないかと思われる。

でも、だからこそ、

「でも出す! どうしてもジーノに恋する男を出したいんだ!! バイセクシャルは普通なんだ!!!」

そんな、ヴィスコンティ監督の叫びみたいな、決意表明みたいな、

「物語と関係あるとかないとか必然性とかそういうことではなくて、そういう性的嗜好の持ち主がいるのは普通なんだから、ストーリーに関係なくても普通に出すもんね! だって普通なんだから!」

という、ヴィスコンティの強い意思を感じたね(ヴィスコンティはバイセクシャルで有名)。

デビュー作から気合はいってんな、と。

 

👇若かりしヴィスコンティ様

Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17670977

 

 

ジョヴァンナ役について(原作ではコーラ)

ジョヴァンナ役のキャスティングについて。

ジョヴァンナは原作で言うところのコーラなのだが、コーラってこんな見た目かなあ。

私は原作のコーラが好きなんだけど(フランクも好きなんだけど)、コーラって女は「美人で、男好きするエロスを持った女」なのですよ。もっと下品な言い方をすれば、「ふるいつきたくなるようないい女」なのね。

でも、このジョヴァンナは、なんか・・・中年っぽいし、学校の先生みたいな、化粧っ気も感じられない地味なつまんない女に見えたのだけど・・・。

男の人生を狂わすような、不幸になると分かっていても関わらざるを得ないような、男ならつい手を出してしまいたくなるような、一緒にどこまでも落ちて行ってもいいやと思えるような、そんな魅力がある女には見えなかったがなあ。

ジーノは盛んに「俺にはあの女しかいない」とか「一秒たりともお前を忘れたことはなかった」とか言ってこのジョヴァンナにご執心なのだが、私にはまったくジーノの気持ちが分からなかった。

それもジョヴァンナよりも、ジーノの方が惚れてる感じなんだよね・・・「なんで?」とか「この女に?」とか思っちゃった。

私は女だから、このジョヴァンナ役の女優さんの魅力が分かんないのかなあ。


いや、むしろ私は「ヴィスコンティは女の趣味が悪いのでは?」と思ったね。女に興味がないから、女の魅力が分からないのではないかと。

もっと普通に分かりやすい「エロい女」「ハクい女」「巨乳&太もも」とかで良かったんじゃないかと思うんだけど・・・

男性陣、どうですか?

 

 

ジーノ役について(原作ではフランク)

一方、マッシモ・ジロッティが演じたジーノ役は良かった。

ただ、背中にめちゃくちゃ毛が生えてた。ふわふわっとした、柔らかそうな毛が。ガイジン!って思っちゃったw  典型的な地中海系な感じ。

でもハンサムだったし、原作のフランクの持つ労働者階級の雰囲気があった。季節労働者のようにあっちこっちを放浪して、金がなくなれば農場で働いたり、また金がなくなれば自動車修理工として働いたりしながら、根無し草のように点々としている感じがよく出ていた。

男性の魅力の一つに、肉体労働者の持つ魅力、格好よさ、色気みたいなものは確かにあって(土方の方とか)、それはたぶん、見せかけの飾りの筋肉ではなく仕事でついた筋肉、生きていたら自然についた筋肉が、逞しさを連想させるんだろうと思う。

逞しいってそういうことだと思う。生活力のあるもの。実用的なもの。ボディビルダーの筋肉に色気や逞しさは感じない。あれはただ「筋肉だな」「筋肉があるな」って思うだけ。

ジーノにはちゃんと肉体労働者の持つ色気が感じられた。

 

 

スパニョールのこと(大好き)

スパニョールは出てきた途端に「おや、こいつゲイなのでは」と思う男だった。

ジョヴァンナと別れて一人になり、列車にタダ乗りして車掌にばれ、乗車券を買う金が無くて困っているジーノに向かって、スパニョールは「俺が払う」と言って乗車券を買ってあげる。

彼はその後もジーノのお金を全部払ってあげる。まるで、いつかモノにしようと思ってる女に気前よく金を使う男のように。

ジーノに愛する女がいると分かっても「まあよくあることさ、そのうち気も変わるだろ」って感じであまり気にせずジーノに親切だし、ほとんど生活の面倒を見てるって感じ。


そして偶然ジョヴァンナと再会したジーノが「ちょっと知り合いに会ったから行ってくる」と言って仕事を抜けようとした時も、ジーノの様子を見て「察し!」となったスパニョールは、愛する女の前で一文無しじゃ格好がつかないだろうと思ったのか、「これを持っていけ」と言って、売り上げからお金を渡す。


・・・なんていいヤツなんだろうって思ったね。格好いいよ、スパニョール。

最後ふたりは喧嘩してしまうけど、それもジーノのことを思えばこそっていう感じで熱い。


私は土方系(ガテン系)の肉体労働者の男性は結構好きなので、スパニョールがジーノに惹かれるのも分かる気がする。スパニョールって、典型的な痩せ形の白人の肉体だったもん。若い頃のジュード・ロウみたいな感じ。

こういう華奢で小柄で痩せ形の男が、ジーノのような逞しい男に惹かれる構図はすごく納得だった。

ヴィスコンティの好みもジーノみたいな男なのかしら(違う気がするが)。


私は冒頭で「スパニョール、いらないんじゃね」なんて書いたけど、そのスパニョールの熱さと片思いのせつなさも相まって、「すごくいいヤツだったなあ」という印象を残すヤツなのだった。

 

 

感想:これはゲイ映画なのかもしれない

『郵便配達夫は二度ベルを鳴らす』の映画化として考えると、物語的には大体原作に沿った、いい出来だと思う。

ただ、ジョヴァンナがあんまりいい女じゃなかったせいもあって、彼女に執着するジーノの気持ちが私にはさっぱり分からなかったから、ジーノがジョヴァンナに「俺にはお前しかいない」みたいなことを言うたびに「なんで?」「なんでなの?」と思っているうちに映画が終わってしまった。

さすがに「この女のどこがいいのかなあー!」が映画の感想、というのはいかがなものかと自分でも思う。


でも映画を見終わって、あとでこの映画の事を思い返してみれば、この映画は「ゲイによる、ゲイ愛にあふれた映画」なのかもしれないなと思うようになった。

思い起こせば、ジーノを追う刑事もまつ毛の長そうな美男だったし、二人が旦那を殺した直後に食堂に現れる ”名もなき男” も、まあ美男だった。

そう思ってくると、ジーノがダンサーの女の子にアイスをおごってあげる場面で、ジーノが一人になった途端向かいのベンチに座っていた爺さんがジーノの隣に座ってきて、ジーノの煙草に火をつけてあげるという何気ないシーンも、それっぽく見えてくる。

みんなゲイだったんじゃないかしら。

そのダンサーの女の子がまたジョヴァンナ同様、いまいちパッとしない女の子だったから、もしやこれは、男が好きな男による、男が好きな男のための、男バンザイ映画だったのではないかしらと思えてきた。

女なんかどうでもよかった映画なのかもしれない。

ヴィスコンティはゲイだから、男女間のことなんか興味ないし馬鹿馬鹿しいとすら思っていて、わざと「パッとしない女」をキャスティングし、「どこがいいんだ、あんな女の」と客に思わせる作戦なのかもしれない。

ああ、これはゲイ映画なのだ。

そしてそれはそれでいいし、実際最後はスパニョールのことが一番に思い出されて、せつない気持ちになって、時間が経てばたつほど「この映画が好きだなあ」と思えてくるのだった。

 

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