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【映画】「プリースト判事(1934)」 映画を作るのが楽しくって仕方ないって感じのコメディ・ドラマ

おすすめ度 ★★★ 

題名 プリースト判事(Judge Priest)
監督 ジョン・フォード
出演 ウィル・ロジャース、トム・ブラウン、アニタ・ブラウン、フランシス・フォード、ステピン・フェチット、バートン・チャーチル、ハティ・マクダニエル
上映時間 81分
制作年 1934年
制作会社 20世紀フォックス
制作国 アメリカ
ジャンル コメディ、法廷、ドラマ、モノクロ
 


たぶんそういうジャンルはないのだと思うけど、アメリカ映画には「いかにもアメリカ南部」といった作品がたくさんあって、「アメリカ南部もの」という一大ジャンルを築いていると言ってもいいと思う。

割と重たいテーマの作品が多くて、黒人差別とか奴隷制度とか「血と汗と涙」とか、シリアス作品が多いイメージ。たとえミュージカルのような娯楽作だとしても、そこにそういうテーマをちらっと入れたりして。

この作品もアメリカ南部が舞台だから、そんな先入観から勝手にシリアス作品だろうと思って見始めたら思いっきりコメディだった。
 
 

あらすじ

ケンタッキーの素朴な田舎判事プリースト(ウィル・ロジャース)の甥っ子ジェロームが、北部で弁護士資格を取得してケンタッキーに戻ってきたところから物語は始まる。
 
ジェロームはプリーストの隣に住むエリー・メイが好きで、エリー・メイもジェロームのことが好きだ。ところがジェロームの母親は、エリー・メイが父親もわからないような孤児であることが全く気に入らない。由緒正しい我がプリースト家にはふさわしくないというのだ。プリーストは何かにつけて二人をくっつけようとするが、プライドの高い母親は聞く耳を持たない。
 
そんなある日、プリーストが床屋に行くと、いつもエリー・メイを口説いては撃沈しているフレムが、負け惜しみから彼女のことを「父親のいない娘なんて」と侮蔑する。思わず頭にきたプリーストだったが、なぜか先にフレムを殴りつけたのは町で最も愛想のない男ギリスだった。
 
その翌日、フレムが仕返ししようとギリスを襲い、ギリスはナイフでフレムを傷つけてしまう。ギリスは自分の弁護をジェロームに依頼。しかも裁判の裁判官はプリーストで、ギリスにとって有利な顔ぶれだ。

ところが裁判当日、プリーストと裁判官の椅子を争うメイデュー上院議員が、プリーストはこの裁判の裁判官としてふさわしくないと言い出す。そのためプリーストは裁判官を降りる羽目になり、寡黙なギリスにとって裁判は不利な状況にすすんでいく。
 
そんななか、プリーストの元へ町の牧師が訪ねてくる。「自分はギリスの過去を知っている、それをぜひ証言したい」と言うのだ。話を聞いたプリーストは、ギリスの弁護を担当する甥っ子ジェロームの共同弁護人として裁判に復帰する。そして牧師の口から知られざるギリスの過去と真実が語られる。
 
 

主演のウィル・ロジャースについて

ウィル・ロジャースは1930年代のアメリカの国民的大スター。ジョン・フォードは40歳前後の頃、ウィル・ロジャース主演で『Doctor Bull(1933)』『プリースト判事(1934)』『周遊する蒸気船(1935)』の三本を、三年連続で撮影している。
 
 

By Melbourne Spurr - Internet Archive, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28010417

 
 
古き良きアメリカを体現しているような、素朴な人間味あふれる善良な人という感じで、いかにも「アメリカの良心」といったたたずまい。この感じがウィル・ロジャースなんだろう。
 
今回の役も『周遊する~』に引き続き、人情あふれる「田舎のおじさん」という感じでよかった。実に温かい人柄がにじみ出ている。

甥っ子のジェロームの恋路を応援していて、オクテのジェロームのために、ゲートボールの球をわざとエリー・メイの足元に打ち込んで「あの玉まで何歩あるか数えてこい」と言ったり、お祭りで「キャンディー引き」のイベント(水あめを練って伸ばして長さを競う競技らしい)にかこつけて二人をくっつけようとしたり、思いやりがあってなにかと面倒見が良い。
 
自分は妻と子供に先立たれているらしく、上手くいきそうなジェロームとエリー・メイの姿を見て自分の若い頃と亡き妻を想い、写真に向かって話しかけるところもじんわりする。妻恋しさにそのままお墓まで行って、改めて話を続けていた。
 
ウィル・ロジャース好きだなあ。『Doctor Bull(1933)』がDVD化されていないのはつくづく残念。そこでのウィル・ロジャースは、腸チフスを食い止めようとする医者の役らしい。
 
 

陽気な黒人家政婦ディルジー

ウィル・ロジャース以外で気に入ったのは、プリースト判事の家で雇われている黒人家政婦ディルジー。陽気で明るくて、登場シーンでは常に歌を歌っていて、すごく歌が上手いの。
 
演じたのは『風と共に去りぬ(1939)』に出演し、黒人初のオスカー受賞者(助演女優賞)を獲得したハティ・マクダニエル。この『プリースト判事』が彼女にとって初めての大きな役だったらしい。
 
 

Scanned by Myra Wysinger and uploaded. Photo from family photo collection. Autographed copy of Hattie McDaniel's July 10, 1941., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3722700による

 


黒人の人、それも太った女性だと余計に「陽気で明るい」というイメージがあるけど、そのイメージ通りのドンピシャな描かれ方。

・・・小錦・・・に似てるんだよね・・・目が大きくてギョロっとしていて、それをさらに「ぎょろぎょろ」と強調する様なんかも小錦そっくり。かわいい。歌もうまいし、出てくるだけでワクワクとこっちの気持ちが明るくなる感じ。

なんとなく、アメリカ南部で、しかも昔だと、そりゃあもう悲惨な黒人差別が繰り広げられていたのではないかと思うのだけれど、せめてフィクションの中だけでも楽しそうな姿を見ると救われる。特に『アラバマ物語(1962)』を見た後だったから、「気丈にふるまってくれてありがとう」とか思ったね。


ところで余談だけれど、黒人は全員「歌が上手い」とか「運動神経がいい」ようになんとなく感じるのは何なんでしょうね。

80年代にフローレンス・ジョイナーという黒人の100m選手がいて、彼女はオリンピックでぶっちぎりの速さで世界記録をたたき出したのだけれど(そしてドーピングが疑われて、はっきりしないうちに若くして急死したのだけれど)、そのジョイナーと旦那さんが当時の大人気音楽番組「夜のヒットスタジオ」に出て、歌手でもないのにデュエットをしたことがあった(曲は覚えていないがそれはどうでもいい)。

その時の衝撃ったらなかった。理由は、旦那さんの歌がドヘタだったから。

衝撃を受けたのは私だけではなかったらしく、当時大変話題になった。おそらくその衝撃の原因は、日本人がみな「黒人は全員歌が上手い」と、なんとなく思い込んでいたことにあった。

あんなに歌が下手な黒人がいるなんて! 目を見張る、いや、耳を疑う出来事だった。いやーインパクトあったなー。なつかしい。

「黒人でも音痴がいる。ということは運痴もいるのだ」と勉強になった。あの頃はね、まだ外国人が珍しかったから。
 
 

『周遊する蒸気船』と比較してみる

あらすじだけだとなかなかシリアスそうな話に聞こえるけれど、最初にも書いた通りこの映画はコメディで、映画冒頭の裁判シーンからいきなり被告が寝ていた。


テンポがよくて、タイミングがよくて、意外性があって、緩急があって、コメディの大事なポイントをしっかり押さえてたもんで、のっけからびっくりして思わず噴き出したもん。

終始軽めのタッチで描きつつ、シリアスになりそうなところもシリアスになりすぎないよう、ちょいちょいコメディリリーフを配置して、最後にわーーーっと一気にスピードアップしてハッピーエンド化していくという展開。

この最後に向けて「うわーっ」と盛り上がって、細かいことにこだわらずに勢いで一気に終わらせる展開は『周遊する蒸気船』と同じ構成だった。

おまけに『周遊する~』に出ていたフランシス・フォード、ステピン・フェチット、バートン・チャーチルの三人が、こちら側にも出ていた。なんなの。ファミリーなの。気が付かないだけで他にもいたのかも。

この三人に関しては『周遊する蒸気船』の記事でも取り上げているので、今回はさらっと。



まずフランシス・フォードは監督ジョン・フォードのお兄さんで、『周遊する~』では飲んだくれの役だった。

今回は、お酒も飲んでいたけれど、”噛み煙草飲み” としての面が強調されていた。噛み煙草をくちゃくちゃやって唾(ヤニ)を吐くための「痰ツボ」探しをしてばっかりいるという役。裁判には陪審員として顔を出していたけど、でも結局は痰ツボに向かってヤニを吐いているだけ。

要するにどちらの作品でもストーリーに絡んでくるような役ではなく、映画のムードを担うコメディリリーフとしての登場。ストーリー的にはいてもいなくても構わない役だけど、なぜか印象に残って、映画の雰囲気を決定していたりするのね。


こういう飄々とした役が持ち味だったのかな。大事だよね、映画でも現実でも、こういう存在の人。



次に、プリースト判事の黒人の使用人ジェフ役のステピン・フェチット。

彼はちょっと(だいぶ?)頭の弱い黒人役で、『周遊する~』でも頭の足りない役をやっていた。というか、いつもこういう役をやっている。

一回くらいビシッとした役もやらせてもらえてるといいんだけど。
 
この時代の映画を見続けていたら、いつか他の映画でも出会えるかしら。その時はキリッとした役を演じているところをお目にかかりたいなあ。
 
 
さらに続けてプリーストのライバル、メイデュー上院議員役のバートン・チャーチル。彼は『周遊する~』では私のお気に入りのニュー・モーセというなまくら坊主役で出ていた。ニュー・モーセとか罰当たりな名前を騙って信者を集める宗教家で、最終的には本音が出ちゃうという個人的にお気に入りな役柄。

でも今回は自分からは全然笑わせない役だった。堅物シリアス役な憎まれ役。
 
 
本来私は、俳優や制作陣が極端にファミリー化していく作風(三谷幸喜とか)が好きではないけど(ベタベタしていて気持ちが悪いと思う。面倒くさい、おっくうに感じる)、この二作品に関して言えば不愉快さはなかった。
 
たぶんこの二作品は野心的な邪心が、作品から全く感じられないからかも。ただただ映画が好きで、いつもの仲間が集まって、やってて楽しくってしょうがないみたいな、そんな無邪気さを感じる映画だったからだと思う。
 
 

ちょっとだけ気になった点もある

でも今作『プリースト判事』の方は、コメディとはいえ親と子の自立の問題とか、孤児として生まれた境遇と差別とか、人を刺してしまうとか、戦争とか、多少重めのテーマも扱っているから、そういういろいろ重要なことを置き去りにして全部ウヤムヤのまま、勢いだけで急速にハッピーエンドに向かっていくというのは「ちょっとドーナノ」って気になった。
 
ギリスは南北戦争のヒーローかもしれないし、フレムはイヤな奴かもしれないけど(だって「ヒャーッヒャッヒャッヒャッ」って笑うんですよ)、でもギリスがフレムを刺したことは事実なのに南北戦争のヒーローだってわかった途端、「わーっ、ヒーローだ!英雄だ!」で盛り上がって、フレムを刺したことはうやむやになっちゃうし、

ジェロームと母親、恋人のエリー・メイの確執も「えーw その一言で片づけたかーww」と思った。ちゃんと考えればむちゃくちゃな展開。
 
『周遊する~』の方は蒸気船レースが最大の見せ場という「完全娯楽作」として作られていたので、全然そういう引っ掛かりがなく、気楽にうまく収集されていたと思う。
 
 
でもまあ・・・この作品も「細かいこと言わないでね」「難しく考えないでね」というスタンスで制作されているんだろうから・・・まあいっかあ。いいんかなあ。
 
 
 
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