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つまづく人々。【映画】「廿日鼠(はつかねずみ)と人間(1939)」

おすすめ度 ★★★★  

題名 廿日鼠と人間Of Mice and Men)
監督 ルイス・マイルストン
原作 ジョン・スタインベック「二十日鼠と人間」1937年
出演 バージェス・メレディス、ロン・チェイニー・ジュニア、ベティ・フィールド、チャールズ・ビックフォード
音楽 アーロン・コープランド
上映時間 106分 
制作年 1939年
制作国 アメリカ
ジャンル 文芸、ドラマ、モノクロ

 

 

引用:「よく聞いてくれ。俺たちには計画があるんだ。お前がいたらダメになる。男が石につまずき転んで首の骨を折る。石は悪くないが、最初からなければ転ばない」 メイに向けてのジョージの台詞

 

ジョン・スタインベックの文芸小説「二十日鼠と人間」の最初の映画化作品。1992年にゲイリー・シニーズ監督主演版もある。

利口な男と知恵遅れの男のコンビが、その日暮らしの季節労働者から脱し、独立して幸せな日々を送ることを夢見ていたが、現実は容赦なく彼らから夢を奪い去る、という話。


映画は、追っ手から逃れるべく森を走るジョージとレニーの姿から始まる。

二人は上手く追っ手をかわし、走る貨物列車に飛び乗り、列車の大きな扉を閉める。と、その扉に映画の説明書きがチョーク(ペンキ?)で書いてあり、それがそのまま映画のタイトルバックとなる。

この始まり方は良かった。映画の良し悪しは開始5分10分であらかた分かる。この演出を見ただけで「あ、期待できるな」と思った。

 

 

あらすじ

時は1930年代、世界恐慌の真っただ中。季節労働者として農場などを転々とし、日銭を稼ぐジョージとレニー。二人でいつか小さな農場を買って幸せに暮らすのが夢だ。

レニーは心が優しくて力持ちだけれど、頭が弱くて何でもすぐに忘れてしまう。しかしそんなことより問題なのは、レニーはウサギや小鳥、子犬など、ふわふわしたものが大好きだが、力の加減が分からず気が付いた時には殺している。だからレニーはゆく先々でトラブルを起こし、二人は一か所に居つくことができない。

ジョージはレニーのいない自由な生活を考えることもあるのだが、子供のころからレニーの面倒を見てきたし、死んだレニーの叔母さんから「あの子をよろしくね」と託されたこともあって、ずっと面倒を見てきたのだった。

今度もまたレニーがふわふわのドレスに触りたくて女を怖がらせたことで、二人は町を追われてしまう。次の農場へ向かう道中、ジョージは「もし今度トラブったらここへ戻ってくるんだぞ。そして俺が来るまで茂みに隠れてるんだ」とレニーに言い聞かせる。

次の農場ではまあまあ横暴なボスと、小男コンプレックスをむき出しにするボスの息子カーリー、そしてまだまだ遊び足りないカーリーの妻メイがいた。トラブルの種はいくつもあって、ジョージはレニーが心配で気が気でない。

事件になりがちなメンツが揃い、案の定レニーは極めて甚大なトラブルを起こしてしまう。

 

 

つまずく人々

人生には石がたくさんあって、つまずかない人は大してつまずかないけど、つまずく人は頻繁につまずいて何度も転んだり、場合によっては大けがをする。

上手くひとつ避けてもまた新しい石が転がっていて・・・至る所に石が転がっていて・・・結構気を付けないと、どうやら人生にはいろいろな種類のつまずく石が転がっているらしい。

おまけに人生には運不運が確かにあって、たまたまイージー・モードの時代に生まれれば、転んでも大したケガはしないけれど、ハード・モードの時代に生まれてしまうとちょっとした判断ミスで大怪我したりするらしい(経験がない)。

ここ数十年の日本は割とイージー・モードだったけれど、最近はかなりハード・モードと化してきたらしく、つまづいてころぶ人たちが量産されつつある模様。

誰だって他人ごとではないわけだけれど、でもやはり真っ先に転ぶ人、転びやすい人はいるっぽい。

 

 

 

 

つまづきそうな人たちばかり

この映画に出てくる登場人物たちを見ていると、「うーん。これはまあ、つまずくだろうなあ」とか思う。トラブルの臭いがプンプンする。

もちろん大恐慌時代だから超ハード・モードなのだけれど、彼らは時代の宿命とは別に、個別に問題を抱えすぎ。


例えば、強烈な小男コンプレックスを抱えるカーリーは、その裏返しで気が荒い。しかも女心がわからないから、妻に喧嘩自慢しかできない。で、妻には軽蔑されている。

小男→悔しい→強くなりたい→喧嘩する→俺は強いアピール→うんざりされる→悔しい→愛されたい→喧嘩する→俺は強い・・・って喧嘩しかないんか!


そんなカーリーと結婚するしかなかった妻のメイ。好きになれない男と一緒になってしまって、おまけに農場には他に女がいないから友達もつくれない。孤独の中にあるメイ。スカウトされたことがあるという、過去の小さな思い出にすがるしかない。

女が自分の才覚だけでは道を切り開けない時代。自力で幸せになれず、他力(男)にすがるしかない時代。私だったら気が狂うかも。少なくとも死にたくなると思う。

だから同情はするけれど、彼女は実に危うい。そのやり方だと、不幸の中にあってさらに不幸を呼び込むんじゃないかと思う。

 

そして問題を呼び込み易いこういう人たちに囲まれていると、こっちにも類が及ぶ。

私なら逃げる。この環境は若いうちに土地を捨てた方がいい。

 

 

 

「つまずく石」は何なのか、または誰なのか

では、レニーがつまずき、ジョージがつまずく石は誰なのか。

冒頭に引用したセリフをもう一度引いてみると、

 

引用:「よく聞いてくれ。俺たちには計画があるんだ。お前がいたらダメになる。男が石につまずき転んで首の骨を折る。石は悪くないが、最初からなければ転ばない」 
メイに向けてのジョージの台詞

 

人生には様々な「つまずく石」があるけれど、ジョージは自分がつまずくのではなく、レニーが転ぶと自分も転ぶという風に考えていて、そのレニーがつまずく石がメイだと思ったのだった。

一般に男が女で身を亡ぼすというのは、よくあることとして知られていると思う。フィクションだけでなく、現実にもそういう事例は多い。

確かに、男にとっては女が、女にとっては男が、人や場合によっては人生を狂わす石になるだろうとは思うけど、今回はそういう一般論的とは違う感想を抱いた。


映画では実際に、レニーはメイの事でつまずいて、連鎖でジョージもつまずくのだけれど、私は今作を見て「実はジョージが石なのかもしれない」という気がした。「自分で自分につまずく」という感じ。

なぜなら自分の農場を持つ夢を持っていても、その相棒は知恵遅れのレニーだし、

たとえお金を持っていたとはいえ、秘密(独立すること)をべらべらと簡単に喋ってしまうようなキャンディーを追加で仲間にしてしまう。

おまけにキャンディーの100ドルを目当ての農場にいきなり郵送していたけれど、その農場だってもう人手に渡ってるかもしれないのによく確認しなくて大丈夫?


状況によってはもしかしたらクルックスも仲間にしそうな雰囲気が漂っていたし、下手したらメイだって連れて行っちゃったかもしれないとさえ思わせる。

クルックスは根性が腐ってて、簡単に裏切りそうで信用ならないし、メイも間違いなく問題を起こすタイプ。

だけどもしクルックスとメイが「ちょっとはお金を持ってる」なんてことになって、合わせて50ドルもあれば「よしみんなで行こう」なんてことを言い出しそう。

 

この甘さが仇になって、レニー関係なく農場経営なんて上手くいかなかったかもしれない。

優しいと言えばそれまでだけれど、ジョージはどうも計画が甘い。

「レニーがどうとか言う前に、自分で自分につまずくやつなんじゃ」なと、うがったことを考えてしまった。

 

 

レニー役はロン・チェイニーの息子

話は変わって、知恵遅れのレニー役をやっているのは、あの有名怪奇俳優ロン・チェイニーの息子。その名もロン・チェイニー・ジュニア(まんまですね)。

彼は元々俳優を志していたが父親のロン・チェイニーに猛反対され、1930年に父親が死んだあと俳優デビューしたらしい。

そしてこの『廿日鼠と人間』で注目され、その後は父親と同様、怪奇映画のスターとなるが、怪奇映画というジャンル自体が廃れてしまうし、結局は俳優として父親を越えられずに失意の人生を歩んだとか。

こういう話は哀しい。

キャリアの途中から、ジュニアを外して父親と同じロン・チェイニー名義で活動していたけれど、結局は父親と区別をつけるために「ジュニア」つきの名前に逆戻りしたんだとか。

なんかこういうエピソードも哀しい。


でもこのレニー役は良かったよ。

知恵遅れで、殺人を犯してしまうという難しい役を愛情を込めて丁寧に演じていたように思う。見るこちら側が同情と愛情を持てるキャラクターに、ちゃんとなっていたもん。

父親と同じ怪奇俳優の道に進まずに、このレニー役みたいに、普通の俳優になれていたら、どんな人生になったのかな。

 

 

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