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割と自己流で生きています

自分の死に方を予想する。

 

         





嚥下障害です。間違いなく。

 

孤独死は決定してる

母と二人暮らしなんですよ。早く死んでくんないかなと思うときも多いです。

父親はとっくに死んでいないし、守銭奴で暴君の弟がいたんですけど数年前にいつの間にか死んでました。

元々子供の頃から両親の折り合いが悪く、母が父方の親せきと上手くいってなくて、おまけに自分の実家や姉妹とも揉め倒してきたもんで、私も自然と親戚一同とは疎遠です。母方とはもう35年くらい会ってないですねー。

父方の従妹なんて見たこともないですね。ま、見たことないはウソですけど、チラ見くらいな感じなんで、顔なんてまるっきり分かりませんね。何の印象もない。

母が死んだら天涯孤独です。たぶん誰にも頼れず、だから頼らず、自分ひとりで出来るなりの人生を生きることになるのでしょう。

死ぬ時も確実にひとりです。

まあ「誰しも死ぬときはひとり」みたいなことも言われますから当たり前ですけどね。

誰かの代わりには死ねないのだから、たとえ集団自殺したとしても、死ぬのは自分です。みんななんか関係ないんですよ。

強がりかなあ。


結果、もちろん独身だし子供もいないし恋人はおろか友達さえもいないという、「お一人様満開」な人生となり、50歳にもなると「私は一体どのような死に方をするのだろうなあ」と思うようになりました。

基本的に「孤独死」は決定しているのですが、もっと細かく具体的に予想しとこうと思います。

 

独りで死ぬのが怖い気持ちは分かる

そうは言っても、理屈はそうかもしれないけど、でも「家族に看取られたい」という人も多いと思います。

たしかに、誰もいない自宅の自室で、夜あるいは明け方とかに、ひとりで死と向き合って耐えられるかと想像すると、結構キツイものがある。

一緒に死んでくれるわけじゃないけど、でも身近な人が近くにいて、見守ってくれてれば少しは心強いかも。

そう思うのは私も分かります。

いやすごく分かりますよ。最近まで分からなかったけど、最近分かるようになってきました。

きっと月明りもない、墨汁を溶かしたような漆黒の闇夜の海を、たったひとり筏で漂っているような、そんな怖さなのかなって。

 

何度か死にかけたことがある

子供の頃

何度か死にかけたことがあるんです。大袈裟かもしれないけど。

子供の頃、たぶん10歳とかそれくらいの時、その頃はまだうまくいっていた親せきと、近くの海に遊びに行きました。

浮き輪にお尻を入れて、波にプカプカ浮かんで漂っていたら、大きな波が押し寄せてきて「くるん」と裏返ってしまって、浮き輪からお尻が抜けず、呼吸ができなくて。

「これはまずい」と慌てて一生懸命もがいたのですが、どうしてもお尻が抜けなくていたら、従弟のお兄ちゃんが足をつかんで持ち上げてくれて、それで助かりました。

まあ大したことはなかったのですが、その時海の中で見た光景は忘れられません。今でも鮮明に覚えてる。

関東の、きったない海で、茶色い海水を通してキラキラキラキラと光る日の光。

私がもがいて出来た泡や、吐いた息が、そのきったない茶色い海にぶくぶくと。

海はきたなくて茶色かったけど、その海水を通して透けて見える日の光は、きれいでした。

不思議です。

私、息ができなくて苦しくて、下手したら死んでたかもしれないのに、きれいだなって思ったし、今思い出してもそう。

きらきら、きらきら、綺麗だったなあって。

天国に召される感じって、こんな感じかなあ・・・って。

 

 

最近

その後は特にそういうこともなかったのですが、最近になって4回ほど死にかけたことがあります。40歳過ぎてから。

病気とか事故とか怪我とかじゃないですよ。嚥下障害的なやつでです笑

それも食事しててとか、水飲んでてとかじゃないですよ。唾液で、です( ´∀` )アハハ

笑い事じゃないんですよ! 何にもしてないんですよ! ほんとに全く何にもしていないのに、ただYoutube見てるだけとかなのに、無意識につばを飲み込んだとたんに呼吸が出来なくなるんですよ!

喉が塞がれたような感じになって、とにかく息が出来ないんです。酸素が全く入ってこない。ほんのちょっとも酸素が入ってこなくて、死ぬのかと思いました。



初めての時は夜中で、別の部屋に母が寝ているのですが声も出せないので、ひとりで闘ってました。ま、呼べたところで母が来ても何もできないと思うんですけど。

あの喉のふさがり具合って一体なんなんだろう。もう髪の毛一本ほどの隙間も空いていないって感じ。風邪ひいたみたいに「ヒューヒュー」とか「ゼーゼー」とか言える程も酸素が入ってこないんです。喉がぴたっと閉じちゃった感じ。

ほんの少し、わずかでいいから酸素を!!ってなって、喉がふさがっているのを無理やり、力いっぱい空気を吸って、一本の糸くらいの隙間でもいいから必死で開けて、無理くり酸素を肺に入れました。

「ヒュー」よりももっとすごい、文字では表せないような音が、喉から出ますよ。

死に物狂いで頑張って何度も何度も繰り返すうちに、ほんの少しずつ酸素が入って、少しずつ楽になって、最後は通常の呼吸ができるようになるのです。

死ぬかと思った。あの時は冗談じゃなくて死を覚悟しました。

 

 

遺伝かなあ

その時思い出したのです。母方の祖父が、こんにゃくを喉に詰まらせて死んだことを。

そして直感的に「これだな」って思いました。私の死因はこれなんだなって。


その後も同じ経験を2~3度していて、直近だと1週間くらい前。笑。

でもなんとなく慣れ・・・っていうのかしら。「大丈夫、死に物狂いで息を無理に取り込めば死なない」って思って、多少は冷静さを保てました。

ただし、私は50歳なのでまだ体力や筋力があるけど、今後さらに年をとって衰えていくと、力づくで息を吸うその力を失って、死ぬんでしょうね。

ああ、やっぱり・・・予想通りだったかあ・・・なんて思いながら。

 

 

不思議と嫌な感じはしなかった

死にたくはないです。まだ。ぜんぜん死にたくない。

でも、「嚥下障害はありかも」とも思う。

なぜなら、苦しいことは苦しいんですけど、このまま気が遠くなって死ぬ流れなら、痛くないし短い時間で済みそうだし、気が遠くなっていくだけな気がするんですよ。

私はまだ、死ぬには若いというか元気だから力づくで空気を吸ってしまうけど、もっともっと衰えていけば、「あー、気が遠くなってきたなぁああああ」ってぼーっと死んでいけそうな気がする。

死ぬときにはエンドルフィンが出るんだっていうし、するとワンチャン「気持ちよく死ぬ」なんていうご褒美に化ける線もあるかも。


あの、子供の頃おぼれて、水の中から透けて見える光を見た時、「ああ、きれいだなあ」みたいな気持ちのまま逝けるかも。

そう思うと「悪くないな」と思ったりする、今日この頃です。