mです。
去年くらいから、
「私の世代って、どんだけ間に合わないんだよ wwwwwwwwwww」と思って仕方がないのですが、そのきっかけは「大企業リストラ問題」でした。
私の身近にはまだ来ないけど、45歳以上がリストラ対象、あるいは早期退職対象なんですってね。
それで「はははーw またかーウケるー」と思ってしまった私は不謹慎なのでしょうが、だって本当に間に合わないんだもの。
ちなみに私は1971年生まれです(早生まれだけど)。では、そんな私が今までどういう感じに間に合わなかったかというと、
① バブル景気に間に合わなかった
(バブルの時は高校生だったから全然恩恵には預かれなくて、「さあ稼ぐぞー、お金持ちになろー」と無邪気に社会に出たらバブルがはじけていた)
② プライベートを優先していい時代に間に合わなかった
(限りなく昭和だから「滅私奉公」で休みも返上して朝から晩まで働いて、「ワークライフバランス」とかいう単語を知った時はとっくに40歳を超えていた。そんな考え方して良かったんだね。はやく言ってよー。)
③ 凡人でも稼げた時代に間に合わなかった
(安い賃金で働いてきたけど、年功序列なら給料が上がるはずの中年になっても全然あがらず、逆に税金とかが上がるから手取りは下がるありさま)
④ 「新入社員」に基本的人権があるとは知らなかった
(若いうちはセクハラ、パワハラ、モラハラ当たり前で、芸はしなければいけないし、仕事ができなければいじめられてきたのに、現在同じような感覚でいると世間に超絶叱られるからめちゃくちゃ気を使って大切に真綿でくるむようにマネージメントしなければいけないの。出来ないと若者たちに「昭和w」とか「ブラック」とか言われるの。私を大切にしてくれる時期はどこに行っちゃったの?)
⑤ 子供の頃に憧れ夢見ていた「未来」に間に合わなかった
(インターネットなんて身近になかったのが20代後半くらいから突然ビッグバン的に普及して、自分の生活になじむ頃にはもう40代を過ぎていた)
⑥ 遊んで暮らせる老人になれなかった
(年金払って年寄りを食わせてきたのに、自分は年金を貰えそうもない。親世代は遊んでるのに。)
そしたら今度はお荷物認定でリストラなんだって wwwwwwwワラワラワラワラ
これって、
⑦ 無能でも自分なりの高給がもらえたシステムに間に合わなかった(自分なりに一番給料が高い期間を喪失した)
ってことでしょう? 団塊世代なんか、無能でも逃げ切ったっていうのに・・・。その上嘱託とか言って大したことせず会社に居続けて、さらに年金までもらいやがって。
いいことないなあ。それにその間に合わなさぶりが、「50年前はこうだったらしいよ」という遥か過去のことなら諦めもつくけど、ついこの間まではこうだったのにさあ、みたいな、絶妙に間に合わない感じがして仕方がない。
この絶妙感は、たとえば①のバブルがらみの話を例に挙げれば、
私がアルバイトとはいえ毎日ホテルの配膳会で働き始めた1992年には(それまでは今で言うニートだった)完全に好景気は過ぎ去っていて、先輩たちから「宴会がめちゃくちゃあってすごかったんだから~!」という一種の自慢話を「へええ」と思いながら聞いていた。
そういえば確かに、ニート中に3ヶ月だけ警備員のアルバイトをしたことがあって、それはたぶん1991年の春から夏にかけてだったのだが、人手不足がひどくて警備員の人員が全く足りず、足りないのがわかっていて受注するもんだから、当日になると3人必要な現場に2人しか出せない、しかも何か所も、ということがしょっちゅうあった。そういう時は社員さんたちは現場からの「ひとり来ないぞコラ」みたいな電話に対して「すみませ~~ん、今向かってるんです~」とか「体調不良ですみませ~ん」とか、蕎麦屋の出前みたいなことを言ってやりすごしていた。どこかの現場が作業中止になって人員が浮くという行幸に恵まれればそいつを行かせるし、ダメなら「病欠」というわけ。
でも好景気すぎて仕事がありまくっていたから、それくらいしないと回らないくらい人手が足りなかった。当時は「フロムA」とか「デイリー・アン」とかの求人誌は沢山種類があって、しかもものすごく分厚かった。2cmくらいは軽くあったんじゃないかな。だからこそ当時の私のような20歳そこそこの小娘が、大した面接もせずに即日採用、明日から研修ね、みたいな感じで簡単に仕事が手に入ったのだ。日給は1万円以上。私なんて軽い気持ちで面接に行ったから、履歴書に写真貼って行かなかったんだから。でも「そんなのいいから」と言われて、すぐに研修に行かされて、あまりの急ぎっぷりに「これはさらわれるのでは」と思ってちょっと怖かったくらいなんだから。
ところが1年半後に働き始めたホテルでは、「ちょっと前まですごかった。宴会を日に3つもこなしていた」と先輩が自慢をするくらい宴会の数が減ってきていた。ひとつの宴会場に、一日にひとつしか宴会が入っていないのが ”シングル”、午前に1件、午後に1件が入っているのが ”ダブル” 、3つ入っていると ”トリプル” と言うのだが、バブルのころはやっぱり人手不足だから、ひとりが一日に3つの宴会をこなすという過酷なシフトが普通だったらしい。”どんでん” とか大変そう。でも私が働き始めた1992年は、ダブルは普通だったけどトリプルは聞いたことがなく、1年もするとみるみる宴会が減ってきて仕事にあぶれるという状況だった。内容もsittingではなく立食形式が増えたり、飲み食いのない学会とか展示会くらいしか残らなくなって、するとそれほど大勢のスタッフはいらないから益々仕事にあぶれてしまうのだった。
そんな風に私たちは、超好景気から急速に仕事がなくなっていく感じが体感できた、一番若い世代だったかもしれない。
私は高卒後の数年間はニートだったし、景気が悪くなって世の中からみるみる仕事がなくなっていくのと重なる時期に、まったく別の理由から「7年間引きこもってしまう」という所業に出たのでその後の景気後退のことは全く実感がない。働いていないからもちろん貧乏で、自動販売機とか公衆電話のおつりのところに手を突っ込んで歩いてみたこともあるし、掃除機を売りに行ったり、母親が買ってくれた真珠のネックレスを質屋に入れたりしながら食いつないだけど、それはバブル崩壊後の世間の不景気とは全く関係のない貧乏だった(ちなみにネックレスは流さず、意地で取り戻しました)。
だけど、ちゃんと大学とか就職とか、そういう人生のレールをきちんきちんと歩めた人たちは、いざ自分が就職しようとしたらあまり仕事がないという状況で、喪失感は半端なかったんじゃないかと推察する。
急速に世の中がしぼんでいく時代。
「え、ついこの前、1991年には『就職戦線異状なし』みたいな、超絶景気のいい映画が公開されてたのに?」みたいな感じ。この映画は映画館に見に行ったけど、ある意味でいい映画だった。もう就職活動も遊び。「どんなときも~どんなときも~」って槙原敬之大ヒット。今では考えられない、「ああバブルだなあ」という時代性を堪能できる映画で、若い人には時代劇として見てほしい。おすすめです。きっと漫画みたいに思うんだろうと思う。ホイチョイ映画もオススメ(いつか記事にしたい)。
なのにこの映画公開の2~3年後くらいには、私の高校時代の友達なんて「大学出て就職したらボーナスがタオルだった」とぼやいていた(有名タオル会社だった)。
しかもたぶん、これだけじゃなくて他にもあるんだと思う。これからもっと出てくるんだと思う。
たとえば、今は定年退職が60歳で嘱託が65歳までだけど、近々5歳延長されて65歳が定年退職になって嘱託で70歳まで働くようになり、だけど私がその年になるころには更に5歳くらい延長されそうな気がする。
年金がもらえる年齢もどんどん引き上げられていくわけだからずっと働き続けなくちゃならない(泣)
すると75歳まで働くのかあ・・・先が長い (-_-;)ヤダナア
・・・働きたくないよー。中には「生涯現役」とか言って働くの大歓迎的な人もいるかもしれないけど、私なんかはゆるく引きこもりたい。やりがいがあって、認められてて、仕事が楽しければいいよ。でもそうじゃなければつらいよー。辛いときは本当につらいから (T_T)
だから割とギリギリの生活でもいいから引きこもりたい。遊び感覚でちょっとバイトするくらいでなんとかしたい。でも本当は少しは豊かで余裕が欲しい。
(ー_ー)!! っていうかお前、以前「死ぬまで働くのは当たり前」「年金制度なんかやめてしまえ」とかなんとかいう記事書いてなかった? と思われるかもしれないけど、あれはあれ、これはこれ。別に嘘は書いてないです。あの時も書いたけど、理屈で考えれば「やめてしまえ」と思うけど、個人的には「働きたくないのにお金はないから貰えるものは貰いたい」と思うだけ。
だって私のささやかな夢は、明日の出勤や仕事のことを全く考えず、なんの心配もなく本の世界や映画の世界に没頭できる、そういう子供時代の生活を再現すること。
少し豊かな引きこもり。
それはとても贅沢なことなのだと思うけど、でも今現在、私の親は実現してるもん! 毎日家で寝っころがって、読書にいそしんでるもん! ほら!ほら!今も目の前で!
ずるいよー(泣)私もそれがいいよー (/_;)アアウラヤマシイ
ソウイウ未来ハ、ワタシニハコナイノダ。
ほんと、すべりこみアウト感が半端ない。あーあ、なーんかなんにも間に合わなかった感じするなー。
デモアキラメナイゾ (・へ・) アガクンダ
※「バブル映画」の代表作だけど、厳密に言えば制作当時はすでにバブルははじけていた。そしてDVD化されていない様子でVHS版しかなかった。残念。面白いのになあ。