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割と自己流で生きています

【本】ジェームズ・M・ケイン著「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」主人公が愛おしくて抱きしめたくなる、犯罪小説の傑作

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題名 郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす
作者 ジェームズ・M・ケイン
訳者 小鷹信光
出版社 ハヤカワ・ミステリ文庫
出版年 1934年
出版国 アメリカ
ジャンル 犯罪、サスペンス



① 前置き

これまでに4度映画化されるほど有名な犯罪小説。

でも私は映画はいずれも見ていなくて、本だけを高校生くらいの時に読んでいる状態。だけど近々4つある映画うち、手に入る3作品を見るつもりなので、今回あらためて本を読み直してみた次第。

前置き的に言うけれど、この原作本は人気小説だからか多くの出版社から様々な訳者で出ていて種類がいくつもある。

なので例によって邦題には表記ゆれがあって、「郵便配達」か「郵便配達夫」なのかと、「いつも」の有無、この二点が揺れている。一般的には一番短い『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が使われているような気がするが、原題が「The Postman Always Rings Twice」なので、郵便配達か郵便配達夫かはどうでもいいけれど、Always があるから「いつも」は必要な気もする。

私が持っているのは、1981年のジャック・ニコルソンとジェシカ・ラング版の映画が公開された後だから、映画のワンシーンが表紙になっているもの。ハヤカワ・ミステリ文庫の小鷹信光訳で、昭和61年の第六版。今は絶版ぽくて、古本でしか手に入らなそう。

ちなみに本作は、本の内容と題名がぜんぜん違うことでも知られていて、誰もベルは鳴らさないし、郵便配達も出てこない。


② 主な登場人物とあらすじ

登場人物は主に3人+2人。

フランク。定職に就かず、アメリカ中をふらふらと渡り歩いて、軽犯罪の前科をいくつも持つ流れ者で半端者。24歳。

コーラ。男好きするいい女に生まれたため女優になる夢を描いて上京し、結局安食堂経営者パパダキスの妻になり、現状に満足していない。
パパダキス。コーラの夫で安食堂を経営するギリシャ人。バイタリティはあるが、粗野で教養のない通俗的な男。
カッツ。弁護士。フランクとコーラのパパダキス殺しを担当する。切れ者。
ケネディ。カッツの部下で、パパダキス殺しの件でフランクをゆする。
 

****** 本のあらすじ ******
カリフォルニアの安食堂に立ち寄った流れ者のフランクは、店の主人パパダキスに気に入られて住み込みで働き始めるが、実際はパパダキスの妻コーラをモノにすることが一番の理由だった。あっという間に良い仲になったフランクとコーラは、パパダキス殺しの計画を立て実行するが失敗する。パパダキスが入院している間に二人は街を出ようとするが、気が変わったコーラは店に戻る。

コーラへの未練を断ち切れないフランクが近場をウロウロしていると、買い物に出てきたパパダキスと上手く再会し店に舞い戻る。そしてほどなく二度目のパパダキス殺しを計画する。二度目は殺しとしては上手くいったものの、二人は警察に捕まってしまう。フランクは尋問中、パパダキスに1万ドルもの保険金がかかっていたことを知らされる。フランクは警察の誘導に負けてコーラを警察に売ってしまい、事件はコーラの単独犯として処理されていく。

しかし敏腕弁護士カッツの活躍で二人は無罪となり、しかも保険金の入手にも成功する。さらに店が繁盛し始め、二人に運が向いてくる。しかし根が流れ者のフランクは一つ所に居つくことを嫌がり、再度コーラと旅に出たがるが、経営の手腕を見せ始めたコーラはこのまま商売を続けることを望む。フランクはまた店を出て行き、他の女とちょっと遊んだあと、結局コーラに惹き寄せられるかのように店に戻り、二人は寄りを戻す。

するとそこへカッツの部下だったケネディが現れ、パパダキス殺しの件でフランクをゆすりはじめる。ケネディをボコボコにして一度は退けた二人だったが、このゆすりはこれからも永遠に続くと思ったコーラは気が変わり、店を捨ててフランクと共に出ていくことを決意する。しかもコーラは身ごもっていた。車で街を出た二人だったが、途中でコーラの体調が悪くなる。慌てたフランクはスピードを上げて病院へ向かうが、無茶な運転がたたって大事故を起こしコーラは死んでしまう。パパダキス殺しとコーラ殺しの二つの嫌疑がかかったフランクは、終身刑を言い渡される。
***********************


③ 読んだ感想~フランクとコーラと文体のこと

私はこの2人が好きだなあと思った。特にフランクが愛おしいと思った。

愛なのか肉欲なのか、嘘なのか本気なのか、わがままで強欲で愚かなのか、自由で正直でまっすぐなのか、悪人なのかピュアなのか。

主人公のフランクとコーラはそんな感じに価値観の端から端をいく。真ん中を行くのではなく端から端へ、それも ”ふらふらと彷徨う” とかではなく、ガツン!ガツン!とぶつかりに行く。

短絡的だし、野性的な感じ。

堅実さのない愚かな二人なんだけど、それでも私はこの二人が好きだった。



フランク。

フランクを描くジェームズ・M・ケインの文体がぶっきらぼうですごく良い。

「おれは」「おれは」の一人称で進んで、タフで簡潔。汗とか血とかが匂ってきそう。

ジェームズ・M・ケインは一般的にはハードボイルドと言われているらしいが、私はハードボイルドだとは思わなかった。ハードボイルドってもっとクールで乾いたイメージがあるけど、今作はウェットではないけれど乾いてもいない。ムンムンとした熱気が伝わってくる。

「おれは」「おれは」で進むから、コーラが本音のところで何を考えているのか分からないところもいい。


ではフランクは自分の考えたことをきめ細かく説明してれるのかと言うと、男のぶっきらぼうさで説明不足になっている感じなのがまたいい。

例えば冒頭の方、コーラを見たフランクはすぐにコーラに欲情しているんだろうけど、それを三人称で作者の目線で描くエロ小説やエロ文学みたいにネチネチとしつこく詳細にきめ細かく描いたりは、されない(エロ小説をよくは知らないけど)。

ただコーラを、
「体つきはべつとして、とびきりの別嬪とはいえない。むっつりして、ぐりぐり押しつぶしてやりたくなるように唇を突き出していた」
と書いたり、

夕食時にフランクは、
「裾がちらっとめくれ、足がのぞいた。ポテトをもらったが、食えなかった。」
と言って、食事がすすむにつれ胃がむかつき、具合が悪くなっていき、外に出て行って
「おれは胃の中を空っぽにした。昼飯とポテトとワインのごったまぜだった。あの女がたまらなく欲しくて、食いものさえ胃におさめておけなかったのだ」
と書く。


初めて肉体関係を持つときも、
「おれはあいつを両腕に抱きしめ、口をあいつの口にぐりぐり押し付けた」
と書いて、
「咬んで」
とせがむコーラに対し、
「咬んでやった。唇に深く歯を立てると、おれの口の中に血がほとばしりでた。おれの口の中に血がほとばしりでた。あいつを階上に運んでいくとき、血が首すじをつたった」
と書く。


その後ふたりっきりになったときは
「翌日、ほんのしばらく、あいつと二人っきりになった。おれは。あいつの足めがけて拳を強く突き上げた。ひっくりかえるほど、強く」
と書いて、コーラが喜ぶと、
「そのときから、おれはまたあいつの匂いを嗅ぎはじめた」
と書く。



こんな感じのぶっきらぼうな描写。SMとかそういう感じではなくて、でも野性的な関係だとわかる。

このフランクのぶっきらぼうさ加減がちょうどよくて良かった。もしかするとフランクのような男を男らしいと言うのかもしれない(いい意味ではないけれど)。



コーラ。

美人だったのか、田舎の美人コンテストで優勝して、その賞品でハリウッド旅行に行って、二週間後には安食堂で働いていた。サイレントからトーキーへの時代の流れの中で、”しゃべるとお里が知れる” タイプだったらしい。それから2年間、男たちに安く扱われて、小金を持ってるパパダキスと知り合い飛びついた。

「ギリシャ野郎を置き去りにして、ずらかっちまおう。おれが行ってるのは道のことだ。楽しいぜ。道のことなら、おれがだれよりもよく知ってる。どんな枝道も分かれ道も知っている。楽しみ方もだ。それが俺たちの望みじゃないのか。一組の浮浪者になるってことが」
というフランクに、
「落ち着く先は安食堂に決まってるわ。その道は、とどのつまりは安食堂に通じてるのよ」
と言うコーラ。


パパダキス殺しをそれとなく持ち出し、
「やつは、おれになにもしていない。いいやつだ、親切だし」
と言うフランクに、
「だけど、臭いのよ。ベトベトして、臭いの」
と言うコーラ。


一度目のパパダキス殺しに失敗した後、フランクとふたりで街を出ようと歩き出したけどくたくたになり、
「結局はごみ溜めで暮らすことになるのよ」
と言い出して店に引き返してしまうコーラ。フランクはそんなコーラを
「家を出たときは、ちっちゃなブルーのスーツとブルーの帽子をかぶって素敵に見えたが、いまはくしゃくしゃになって、靴は埃にまみれ、泣いているせいで満足に歩くこともできない」
と言って、いつのまにか自分も泣いているフランク。


自分たちが歩く道のことしか頭にないフランクと、道の行く先に絶望するコーラは、男女の価値観の違いを表している。今だけを考える男と、先を考える女。

人並みに生きていきたいと願うコーラと放浪癖のあるフランクは、お互いを求めあいながらもなかなか行く道が一致しない。

自分が無実になると知っても喜ばず、このまま地獄に落ちた方が良かったと、あの時パパダキスを殺したあの晩、お互いを激しく求めあったあの瞬間こそが、自分たちは山の頂上にいてすべてを手に入れた幸せの絶頂だったと言うコーラ。コーラが言う意味がちゃんとは分からないフランク。

二人はすれ違いながらももつれあって、ようやく一つになれたかもしれない次の瞬間にすべてを失ってしまう。


馬鹿なフランク。幸せにはなれない生き方の二人だけど、でも私はこの二人が好きだなと思った。抱きしめたくなる。

表面的な人間関係しか持てない私は、この二人が心底うらやましいと思って、この小説が好きなのでした。




☟私が持っている小鷹信光訳はたぶん絶版。古書となります。


 
☟手に入りやすいのは他にもたくさんあるけど、訳者が違う。
光文社古典新訳文庫、池田真紀子訳。これはkindleでも読めます。
 
 
 
☟こちらもkindleで読める、名訳との誉れ高い田中小実昌訳。
今度読むときはこれにするつもり。
 



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