なんか最近マスクが感染対策からドレスコードになったらしい。
もう失笑。
マナーっていうのも相当だなって思ってたけど、ドレスコードまで来ましたかあ。
感染対策 → ルール → マナー → エチケット と展開してドレスコードの流れ。
感染対策からルールくらいまではウイルスから人類を救う最強装備だったのに、マナーとエチケットで ”お作法”になり、そして今度はさらに狭義のドレスコードになりました。
それ男のネクタイ、女の化粧と同じ扱いってことですけど。
マスクは医療系の衛生用品だとばかり思ってたら、この2年半でネクタイ化粧レベルに成り下がるとは、一体だれが予想したでしょう。もう推進強硬派は何がしたいのかさっぱりワカラン。
私はね、特に医療関係者は怒らなくちゃいけないやつだと思いますよ。
「ネクタイ化粧と一緒にすな!」って。
そういえばすっかり忘れていたが、わたしゃ1年前にも「医療崩壊がどうの」という駄文を上げて、そこで「今後マスクは保健体育の授業ではなく、道徳の授業で取り扱われるようになるのでしょう」と予測していたのでした(誰も読んでくれないけど)。
この一年、なんも変わってねー。
しかし今読むと私、めちゃくちゃ怒ってるなあ。このあと年末にかけて、日本で起こる出来事がだんだん面白くなってきちゃって「いやー面白いなーww 涙出るw」と笑えてた時期もあったけど、今年6月頃には呆れ果て、最近は日本人に恐怖すら覚えてます。
とはいえやっぱりここでもひとつお願いしておかねばならない(誰も読んでくれなくても)。
「前提変えるのやめて」
もうついていけないです。
100歩譲って、ルールまではなんとかついていけてたんです。まあ発想は分かるなあと。もやもやするけど、まあなあ、みんなパニクってるんだから仕方ないし、気持ちは分からなくもない、と。
「マスクはルール」っていうのは、一応「マスクはウイルスを防ぐ」という前提のもと、「だから全員マスクをルールにしよう。そうすれば防げるはず」ってことですもんね。
分かります。そこまでは。一番土台の「マスクはウイルスを防ぐ」かどうか怪しいけど、防ぐを前提にしてのルールなんですよね。
ついていけなくなったのはマナーからかなあ(遠い目)。「ま、ままま、まなー!?」ってなった。そしたら今じゃドレスコードだもん。
むり。もうついていけない。脳みそが????ってなる。理屈が分からん。
だってそれだともう永遠なんですよ。
マスクはウイルスを防ぐという感染対策を前提にしたルールなら「コロナを絶滅できたら外せる」とか「もう絶滅は諦めたから外す」とか、そういうゴール設定ができると思うんですけど、マナーとかドレスコードだとウイルス関係なくなってゴール設定できないじゃん。
物事を考えるうえで基準となる大事な前提を、感染対策からマナーとかドレスコードに動かしたもんだから、ゴールも見失うという当たり前の結果に。
仕事でも何でも、前提を見失うと不毛な議論が延々と続いて、いま自分たちが一体何を議論をしてるのかすら分からなくなる、あれです。もちろん結論なんて見つけられません。無駄に時間が過ぎていき、みんな消耗するだけの、アレです。
それもこのコロナ騒動やマスク圧力は政府主導とかマスコミ主導じゃなくて、国民自らが率先して扇動していくスタイルで来ちゃったもんだからもう泥沼。誰も止められない。
少数派が止めようとすると反ワクだとか陰謀論者だって言われちゃうから、もう黙ってよう、みたいな。
ブレーキすら自分たちで無効にしてしまいました。
そしてそのマスクをし続ける理由が、
「みながしているから」「化粧しなくていいから」「髭を剃らなくていいから」「相手に失礼」「もう時代は変わった」「みんなが外したら外す」など、感染症とはなんの関係もないことを自分たちでも認めていて、
この夏、海外はすでに脱コロナを済ませた状況で、
熱中症との兼ね合い、子供たちの発育への悪影響などが問題視され、
今こそ外す最大のチャンスだったのに外さなかった日本人たち。
もう秋です。日本人はマスクを外す絶好のチャンスを完全に逃しました。もしかすると最後のチャンスだったのかもしれないのに。
失うものが大きそうですなあ。
いかなるデメリットがあろうとも外したくないんでしょう。たとえ自分の子供がぽかんとした子になるかもしれなくても。
日本国民のみなさまがどう考えてるのか、ちょびっとも分からなくって、私なぞはもうお手上げです。
「みんなマスク生活が気に入ってるんだなあ」と思いながら、素顔で電車に乗っている私です。
【関連記事】